2005年2月27日日曜日

地図と美意識

「地図は世界観」(Jimitsu)と桂英史のメディア観をリンクさせてみたい。桂はメルプロジェクトのシンポジウム(2005.2.19)で次のような趣旨の話を語っていた。



自分のメディア論は原理主義的で、「技術」「市場」「美意識」の3つを抜きにしてメディアを語ることは退屈である。
ここでいう「技術」はハイテクのみならず、日常生活にまつわるローテクを含む。「市場」は「交換」つまり、ひと、ものの流通。美意識は日常的なエートスに包括される概念である。
メディアリテラシーに倫理をもちこまないとするスタンスには組みしない。メディアリテラシーは倫理的であるべきだ。



桂のなかば挑発的な発言から、話題が美意識、倫理へと深入りして丁々発止のやりとりに発展するかと思いきや、なんとなく議論が収束してしまって個人的には残念。
しかし、「技術」「市場」「美意識」はインパクトがあった。
この3つのキーワード「技術」「市場」「美意識」を「世界観」と置き換えて地図というメディアにアプローチするのも面白そうだ。



例えば「美意識」。都市づくりのグランドデザインとしての地図を比較してみるとどうだろう。エッフェル塔を中心に放射線状に広がるパリ。同心円状に広がるかつての未来都市ブラジリア。天円地方の考えにもとずいて天に円、地に方形の補助線をひく中国はことのほか、正方のグリッドを愛した。そのイミテーションとしての京都。中世ヨーロッパのTO図はキリスト教の世界観を表すためで実用性はないが、よく見ると自然の部分(大地)はフリーハンドの曲線だが、人為の部分(建物)は幾何学的な直線、曲線を使っている。 グリッド志向がある一方で、イスラムの細密画のようなめくるめく有機体志向の美意識もある。



かつて、ニュージーランドのとある街角ですごく面白い経験をしたことがある。通りの名前は忘れたが、地図に描いてある通りをバイクで進んでいたら、突然の断崖絶壁に出くわした。「そんな馬鹿な?」地図が違うのか、自分の見方が違うのか?土地のひとに尋ねて答えがわかった。



その通りは崖の遥か下でそのまま続いていた。19世紀大英帝国でデザインした都市計画をそのまま南半球の未知の地にあてはめたのでこんなことになったのだ。現地の地形、利便性よりもグラウンドデザインの方が優先していたのである!
(中山)



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