2008年1月28日月曜日

1月例会報告

中澤先生の作った授業「メディアリテラシー」(高等学校通信制の課程 情報科)の年間計画は、「メディアリテラシーをどうやって教えたらいいのかわからない」とお悩みの諸兄にお勧めできる最良のパッケージだと思う。通信制の授業案なので、基本的には自宅でレポートを書いて先生に提出し、先生にみてもらう、という1対1のコミュニケーション活動であるが、これを他の形態でやろうと思えば、いくらでもふくらませることができる。そう意味で、エッセンスが抽出されている「最良のパッケージ」と思うのである。



例会では、はじめに、受講者に配布する「報告課題集」の解説マニュアルおよび資料冊子の説明。「アニメーションを見る。-キャラクターとは何か?」の素材である「ムキ蔵のデート」の視聴。オノマトフォトの素材写真の観賞と続いた。どちらの素材もつっこみどころ満載、すなわちネタがいい。



例会での質疑応答であるが、1つは「メディアと人間」という項目で、「メディアとは?」その定義の分類についていくつかなされた。例えばテレビ1つとっても電子メディアといったり映像メディアあるいはマスメディア、設置型メディアといったり、定義するものの立ち位置によっていろいろな言い方がなされる。(メディアの不確定性原理??)そうした物言いの中で「メディア」の厳密な定義はすこしずつずれていく。言葉の定義の宿命ではあるが、われわれの例会でも繰り返し議論をしてきたし、これからも度々しなければならない話題だと思う。



議論の中で「ファンタジー」ということばの内実も、



時代によって異なるのではないかとの話がでてきて興味深かった。頭の中にだけあったファンタジーが、メディアミックスの時代にあって現実味を帯び、ファンタジーだからといってリアルでないとは限らないというのだ。(これをファン多事―という?)実はメディアもファンタジーと遠い所にいるわけではない、というかむしろ深い仲である。



また、映像を理解するときに言葉は必要か、映像表現の欲求というものがあるとして、そこに「ことば」は介在するのかというもんだいも面白い議論であった。この問題意識は中澤先生が映像にかかわる上で重要なところなんだろう。(違ってたらごめんなさい)


参加者からは、映像が個人で簡単に撮影、編集できるようになった昨今、何を撮りたいか、どのように撮りたいか、というところをしっかりと言語化できないと駄目であるという意見もだされた。これはプロの映像制作者、あるいはプロでなくとも公共的な表現をしようとするものには必ず求められるところであろう。一方で、これと議論はかみ合ってないかもしれないが、近代をロゴセントリズム(言語中心主義)の時代で、映像は不当にはじっこに追いやられている時代とみなす向きもある。たしかに映像が百花綾乱の時代に見えるが、活字文字=深い思考というモデルは揺るぎがない。知は「言語化」されえずとも「視覚化」しうる。さらに言えば、知は知覚化しうる。



とまあ、映像をやる限り、言葉と表象の間を常に行きつ戻りつ議論をつづけていくほかないのであろう。この問題と底通する話題でもある、「キャラクターとは何か?」も議論になった。


「アニメーションを見るーキャラクターとは何か?―」で、受講者は自分のオリジナルキャラクターを創作し、さらにストーリーをそのキャラに付与する。変幻自在なのが日本のキャラで、不変性、一貫性をもつのが欧米のキャラクターだとの指摘もあった。私が先月読んだ「高山宏 表象の芸術工学」の中の一文を紹介したい。



「キャラクター」が主として「性格」という意味を表わすようになるのは、近代の都市文明にあってのことです。だいたい17世紀までは、キャラクターというのは文字や、うちのものが外化し表出した印としてのサインというか記号を意味しました。



これは、日本語の「気質(かたぎ)」も「固木」つまり、ノミとかで木に彫りこまれた文字に由来することとも符合する、と同書で論じられている。いやじつに面白い。



さてさて、中澤先生の教案については、ぜひ皆さん何らかの方法でゲットして、参考にするとよいと思う。繰り返しになるが、議論のポイントが詰まっている。これが議論を喚起しない、議論を許さない(「どうだ、これが正しいメディアリテラシーだ!みたいな」ものであれば、受講者のモチベーションは自宅の書棚に眠ったままとあるのであろう。


(報告者 中山周治)





2008年1月9日水曜日

1月例会へのお誘い  メディアリテラシーの学び方

来年度のメディアリテラシーの授業(高校の通信制)の教材を作りました。

今回はその概要を説明します。ご意見や批判をいただきたいと思います。

報告者:中澤邦治

日時:2008125日(金) 18:30

場所:相模原市南新町児童館

私が今回の教材作りで最も参考にしたのは、この「かながわメディアリテラシー研究所」での2年以上にわたる月例会での研究発表とワークショップです。そして水越伸氏他によって書かれた「メディアリテラシーの道具箱」(東京大学出版会)が、教材全体の輪郭を与えてくれました。来年度の教材(高校通信制の学習報告課題)を作るにあたって、それらの学びから多くの着想を得ることができました。

今回の月例会のテーマは「メディアリテラシーの学び方」です。メディアリテラシーをどう教えるか?についていろいろ悩んだすえに、報告課題もワークショップをふんだんに取り入れた授業内容となりました。メディアリテラシーに関心のある方は是非とも参加していただいて、ご意見やご批判をいただきたいです。

2008年1月7日月曜日

12月例会の報告

 あけましておめでとうございます。 

 だいぶ遅くなりましたが、昨年1222日(土)午後に行われたかながわメディアリテラシー研究所の例会について報告します。

 今回は所員の松田ユリ子さんのもとで教わっている大学生の皆さんが制作した映像作品の上映会をそのまま12月例会としたものです。

 場所は法政大学多摩校舎。松田ユリ子さんが教える法政大学での講座「情報メディアの活用」という司書教諭資格をとるための授業を参観したともいえます。

 この講座は図書館での情報メディア(視聴覚メディア)の活用をどのように促すか?ということを実践的に学んでいくことを目的としていたようで、単に図書館の蔵書管理や情報サービスのために情報メディアの活用をはかることをめざすものではありませんでした。

 学生は10名満たない少人数でしたが、実際に映像制作を授業でおこなうにはちょうど良い人数です。


 学生への課題は、「学校図書館の魅力を伝える映像作品をつくる」ということでした。今年度後期の授業でしたから、始まりは10月。実は私はその2回目くらいの授業に出て、映像作品制作の簡単なレクチャーをしました。私もハンドアウトを用意し、その中でこの授業でのねらいを、①Windowsのビデオ編集ソフトMovie Makerを使って簡単な映像作品を作る。②映像作品製作にあたってはモンタージュの技法を学ぶ。③出来上がった作品を皆で鑑賞して、批評し合う。④映像作品の構成方法と作文の共通点や相違点を分析し、文字メディア表現と映像メディア表現の相関性や相違点を探る、などと設定してみました。

 たしか1020日でしたが、その時の学生さんはとても緊張していて、半年で映像作品を作るというのだが、できるのだろうか、やる気があるのか、ないのか。レクチャーを終えてなにか不安に駆られもしました。このあとのことがなんとも気がかりな感じでした。

どうなるのかなと思いながら1ヶ月が経ち、すでにグループ分けも終えて、企画会議、絵コンテ・シナリオ作成、、、とすすんでいったようで、11月には中間発表という段取りでした。とても気になっていたので、この中間発表を参観しました。1124日の土曜日のことです。

 中間発表では、3つのグループに別れたそれぞれの班が、自分らの班の作品がどんな内容なのかを10分程度でプレゼンしました。他の班からと質疑応答が繰り広げられて、ずいぶんと熱を帯びてきたという印象でした。実際の撮影に入っていないので、全体的にはまだ観念的なところもめだち、本を燃やすシーンとか、図書館の取材許可をとっていないなど、現実的でない・甘さが目立つところもありました。

 その後実際に撮影が進められ、1ヶ月がたって1222日。上映会当日。前日深夜まで編集作業をおこなった班もあったようで、みなさんの動きから本番前の張り詰めた緊張感が感じられました。(以前とは見ちがえるようでした。)


 上映発表会用の普通教室にはプロジェクター&スクリーンがセットされていました。この講義を受講していない学生さんや所員の中山さんや司書のたまきさん、湘南映像祭の森さんなどなど参観していて、30名近くの盛況な上映会となりました。


 第1班の作品は、図書館の否定的な・面白くないイメージを「かたつむり」の一文字ずつで表現していく作品でした。「か」では硬いという図書館のイメージ、といった筋書きです。

テレビのバラエティー番組風のつくりになっていました。最後に投書箱にそうした意見を投入れて、よりよい図書館になるというようなストーリーだったと思います。全体的にシナリオがしっかりしていてまとまりのある作品でした。(編集ソフトにMovie Makerではなく、Video Studioを使ったのはアンフェアーでした。できる一人の学生ががんばったという印象をもちました。)


 第2班の作品は、内容が内部で3つに分割していました。はじめに客観的なスタイルで図書館を紹介していました。中は女性が出てきてドラマ仕立てのストーリーとカット割になっていました。そして、最後に図書館員へのインタビュー。全体的なまとまりに欠けるものになっていたのが残念でしたが、視線を合わせるカットとか、書架で本を整理する女性のロー・アングルからのショットとかいいセンスを感じました。(また、インタビューという外に出て行く取材は苦労が多いものですから、今回のように撮影状態がわるくとも、とても評価できるものです。)この作品は中盤をのぞけば、全体的にはドキュメンタリー風に仕上がっていました。



 第3班の作品は、ドラマ仕立てといっていいでしょう。3つのなかではもっともまとまりのいい作品でした。映像作品としても一番立っていたと思います。ぶくぶくと深海のようなイメージが図書館に感じられました。図書館の象徴のような人も登場してきて面白いプロットでした。また、本を読んでいる最中にスペインの闘牛になってしまうものいい感じです。もっと突然にシーンをカットするともっと効果的だったでしょう。(たとえば、いきなり橋を走る牛と闘牛士のシーン、図書館で本を読む人、闘牛シーン、なんとなくその本がスペイン本とわかるシーン、というつなぎ順ですね。)(森さんはあの時厳密にはモンタージュ手法を使った作品はひとつもないと言っていたが、ここのところはもうすこしでモンタージュの手法でした。)(「アトラクションのモンタージュ」という記事を雑誌に書いたロシアの監督エイゼンシュテインは「ストライキ」という作品で警察スパイの顔を狼とかにダブらせたりする象徴的表現や、労働者虐殺と牛の屠殺のカットバックとかを使っています。)



 3作品を通じていえることは、短い期間とデジカメというローテクでありながら、よくまあこれだけの作品を仕上げたものだということです。



 大学生がつくった映像作品という観点で見れば、作品としての自立性が乏しかったという評価がされましょう。また、学校図書館の魅力を伝えるという点ではどうだったか?学校司書がいて生徒がいて先生がいて、それをどう伝えるかというメッセージ性の観点からいうと、学校図書館のまなまなしくも生き生きとした活動を描写していない、という反省点が出てきます。



 ともあれ、映像作りを楽しむという副題はかなったようです。それは上映会の学生諸君の充実した表情や笑顔でわかりました。ただ単に、映像作品を完成させたという充実感だけでなく、グループでの制作でしたから、協同でなしとげたという達成感があったのだと思います。


 この授業をつうじて友達をつくった学生もいるはずです。



 この人の役に立つには自分はどんなスキルが必要か?自分自身で学ぶことが結果としてこの人の役に立つ。いい授業でした。(報告:中澤邦治)