2007年10月22日月曜日

10月例会 共感しました。

小山氏のお人柄がジワリジワリと出ていて、その場を楽しむことができました。これこそ、小山氏が力点を置いていた組織の活性化の要である「インフォーマルなコミュニケーション」ですね。

(「インフォーマルなコミュニケーション」は当研究所kmnpasの肝でもあります。君たちはフォーマルになりようがない」とのツッコミがありそうですが。それと、小山氏は当研究所のメンバーでもあります。)

インフォーマルな仕掛けをどのようにフォーマルに入れ込んで、共感の場、共感のネットワークを作っていくか、というのは経験知に基づくものだと思いますが、「お人柄がジワリジワリと出てい」るなあと感じさせる小山氏は表と裏のネットワークの達人です。

一言でいうと「しなやか」なんですね。

はじめの資料見学のときに「持続可能な開発」関係のコーナーに小山氏が言及しましたが、これが妙にわたしの頭に残っていて、その後の話とリンクしてました。「持続可能性」とか「持続可能な社会」といったことを組織論として考えるたときに「面白さ」は外せないキーワードの一つだなあ、と話しを聞きながらつくづく感じました。メディア・リテラシー教育を考える上でも、「面白さ」を外したら持続可能性は失われるのでしょう。

公共空間の1つである学校に「面白さ」を持ち込むのもなかなか難しいですが、メディア・リテラシー教育それ自体がその部分を担うものとして機能するのもいいんじゃないかなあと思います。でないと、学校の持続可能性だって危ういですよね。

「持続可能性」という用語の濫用だとしたらすみません。因みに「持続可能な」という"sustainable"の訳語は「しなやかな」と思い切って訳しちゃったほうが良かったのでは、その方が持続可能だと思いませんか?(中山)

10月例会報告:「館」メディアってやっぱり「人」なんだよね

今回はプレゼンテータの小山紳一郎氏の本拠地 あーすプラザを会場に、「館」メディアについて考えた。

まず、情報フォーラムをツアーする。Imgp2292Imgp2293ここでは国際理解、多文化共生という切り口で集められストックされた情報を市民にサービスしている。
図書や雑誌ばかりではなく、教材も借りることが出来る。



各自治体・学校で作られた多言語リーフレットやパンフレットが言語別にファイリングされている。Imgp2304Imgp2303すぐに役立つ生活情報に特化した多言語ファイルも充実している。 軽い打ち合わせが出来るコーナーも、定期的に日本語講座や外国語講座、あるいは教育相談を行うスペースもある。
そして、NGO情報アーカイブである。市民活動の貴重な記録として、NGOニュースレターをアーカイブしているのだ。
ニースレターなど、消失しやすい紙メディアをアーカイブ化する意義は大きい。現在索引のデータベース化がすすめられている。

続いて、小山氏のプレゼンテーションを聞く。Imgp2306 前半は、地球市民かながわぷらざの施設運営の考え方、後半は公共空間を面白い場にするために何が出来るか ということなのだが、とにかく一言でまとめるのは困難な芳醇な内容が詰まったプレゼンだったのだ。



印象に残った言葉を並べることにする。

■情報を届けるということについて 

情報を届けるには通り一遍に置いておいてもダメ。資料を手渡しして説明することで、初めて情報が届く。人が最大のメディアだ。
キイパーソンを通してインフォーマルネットワークを活用する。
エスニシティの特性を使って、それぞれのメディアや彼らが集まる場面で情報を届ける。

情報は「生命線」だ!
情報を出すことで、潜在的な情報ニーズが掘り起こされる。供給が需要を生む。
例えば、opac的なものを用意してキイワード検索出来るようにしてもこれは「待ち」に過ぎない。プッシュ型の供給を行うこと。プッシュ型は、もっと個人的な「印象」をblogで発信するようなこと。ここに需要が生まれる。

■図書館員に欲しい視点
住民の潜在的な情報ニーズに応えているか
住民とは誰か?

「生き物」としての情報が自然に集まるか
ネットワークを日頃から増やしているか?
書籍情報は古い。最先端の情報は市民活動の中にある。

情報を「フロー」ではなく「ストック」と捉えているか

何だかんだ言って、図書館や博物館はポテンシャルがある。NPOセンターは資料の量が少ない。ポテンシャルのある場所で働く図書館員を生かさないのはもったいない!
図書館員はもっと身体的、共感的に「住民」を知ることを目指すべき。
とにかく一緒に何かやるといい。演劇的ワークショップとかいいかも。

■公共「館」を面白くするために
働いているスタッフが仕事を面白いと思っているか
館のトップが熱いか、ネットワークを豊富に持っているか
組織原理に捉われない自由な発想、異なる価値観(=風)が吹き抜けているか

さて、

感想を聞くと、参加者それぞれに自分に引きつけて感じ入る言葉があったようだ。
そういう意味で議論にはならず、共感の空気に満ちた会になった。
図書館情報学の院生や留学生、普段は遠くて参加出来なかった方など、初参加メンバーが多かっただけにもう少し公共空間を面白くするためにはどうしたらいいかということに絞って参加者の意見を聞きたかったと後で思ったが、例によって時間切れで、みんなで場所を移してわいわいやって、インフォーマルネットワークがそこで生まれたから、ま、いいか。

考えてみれば、kmnpasがインフォーマルネットワークメディアそのものなのだった。

(松田ユリ子)

2007年10月3日水曜日

10月例会のお知らせ

研究所主催企画第26弾!



10月例会のお知らせ



日時:10月19日(金)



18:30 あーすぷらざツアー  19:00~21:00 セッション



場所:  神奈川県立地球市民かながわプラザ (JR根岸線「本郷台」下車徒歩すぐ)



http://www.k-i-a.or.jp/plaza/index.html 



集合場所:2階情報フォーラム



 



「社会インフラとしてのライブラリーの可能性
~人々の記憶を記録し、未来の社会をデザインするために~」 
発表者 小山紳一郎 



ライブラリーもミュージアムも、すごいスピードで変わってきている。魅力的な館も増えてきている。でも、もっともっと面白い場にできるハズ! 「あーすぷらざ」での実践をもとに、ワクワクする学習文化空間を創造するための知恵について一緒に考えませんか?



セッションに先立って、あーすぷらざという「館」のツアーがあります。どこから参加してもOKです。



いつもと例会の場所が違います。今回お近くの方は是非kmnpas例会を体験して下さい。



事前申し込み不要。 資料代 300円です。



お待ちしております。







    



社会科系科目におけるメディアリテラシー教育は、X 教育のY 化なのか?9月例会に参加して考えたこと

1 X教育のY化
 情報教育を専門とする辰己丈夫は「X教育のY化」という概念を提唱している.これは,数学教育にコンピュータが導入された「数学教育の情報化」概念を発展させたものである.具体的には,



・音楽教育の情報化”コンピュータを楽器として使う””作曲の道具として使う”などの,音楽教育にコンピュータを取り入れる(音楽教育が目的,情報は手段・道具)
・情報教育の音楽化”楽譜の構造とプログラミングが似ている”などの,コンピュータ教育に音楽を取り入れる(情報教育が目的,音楽は手段・道具)



などが考えられる.
http://www.tt.tuat.ac.jp/index.php?%BE%F0%CA%F3B6%B5%B0%E9%A4%CE%B2%BB%B3%DA%B2%BD



2 社会科教育のメディアリテラシー化
 鈴木さんは先行研究などより「メディアリテラシーの育成はそのこと自体を主目的に授業を構成するのではなく、具体的な場面に即して行う必要がある」,つまり,他の科目の中で教えるほかない,という立ち位置に至る.そうだとすれば「鈴木さんの立ち位置」や「α高」「β高の7回以降」は社会科教育のメディアリテラシー化と考えることができる.
 そう考えたとき,



・主目的ではないメディアリテラシーを評価する必要があるのか,してもいいのか.
・主目標ではないメディアリテラシーを育てるのは簡単ではない.(目標となってしまうのではないか)



などの疑問点が残る.



3 すべて埋め込めるのか?
 鈴木さんは下記のコメントで「メディアリテラシーは高校の社会系教科だけが請け負うものだとはけして思っていない」との立場をとる.
 映像の編集・制作はメディアリテラシーで外せない部分であると考えられるが,社会科系科目では扱いにくいだろう.ただし,美術科・情報科ならば扱えないこともない.ではメディアリテラシーの内容のすべてをいずれかの教科で扱えるだろうか.



4 メディアリテラシーの社会科教育化
 会の話で出てきた「鉄砲伝来は1543年とされているが,教員が別の年を主張する独自の資料を準備して授業展開する」はここに入るだろう.
 β高の2-6回もそうと言えるかもしれない.そしてその結果は出ている.α高よりβ高のほうが「分かっている」ように見える.アンケートのほとんどの項目で「全くそう思う」と「だいたいそう思う」の合計がα高に対してβ高が上回っているからだ.



5 結局メディアリテラシーの定義の違いなのか
 ただ,私はα高β高の授業に満足することはできない.メディアリテラシーは「相対主義」「大きな物語の崩壊」「(あまり深くない意味での) 脱構築」などがキモで,一番おもしろいところであると考えている.
 しかし,α高β高の教員のインタビューでは



・「価値観の入った情報を注意深く受け取る」(α高質問13)
・「「ちょっと待てよ」と思うこと」(β高質問15)



など,「クリティカルにとらえる」にとどまっている.これはα高β高の教員が生徒の知識が不足している」と判断したからではないだろう.



 私は「クリティカルにとらえる」だけならば,各教科の中で扱い,クリティカル科は必要ない,と考える.しかし,高校情報科がコンピュータの使い方の教育ではないのと同様に,メディアリテラシーにはもっと深いものがあると信じている.(yansenmu)