2006年6月30日金曜日

研究所主催企画第16弾

「メディアリテラシーを高校生にどう教えるか?」



改め「高校で映画をつくる」





報告者:中澤邦治



















私が勤める学校で映画製作同好会を立ち上げ、映画を1本つくりました。今回はこれを上映します。







ドラマ「THE通信制高校」(厚木清南高校映画製作同好会製作/監督:中澤邦治(顧問)/時間97秒)。わが同好会の第1回作品です。これを上映します。この作品は723日に開催される「第2回湘南映像祭」参加作品です。いわばその試写会という形です。







当日は監督(つまり私)のトークショーがあります。さらにスペシャルゲストとして出演者のひとりである、司書の小山峰子さんにもお越しいただくことになっています。舞台挨拶ということでしょうか。







最後に高校で映画(ドラマにしろドキュメンタリーにしろビデオメッセージにしろ)をつくることの意味について話たいと思います。























日時:721日(金)1830



場所: 相模原南新町児童館Map



小田急線相模大野駅南口、徒歩5分。南口を出て駅を背に直進、3つ目の信号「相模大野9丁目」、「アイ眼科」の角を右に入り、左側2軒目です































2006年6月25日日曜日

6月例会報告

アメリカの情報リテラシー教育"know it All"ビデオシリーズを見る



発表者は、神奈川司書界のGodmother、失礼、女神(?)高橋恵美子女史である。氏は某私立大の講師も勤めておられ、アメリカの学校図書館とそこで成される教育について造詣が深い。



今回は"know it All"ビデオシリーズ全13巻の中から、次の3本を順に見ていった。



    第12巻 協働して教える:探索の段階で



    第2巻 何をするかを知る



    第5巻 他の言葉で言う



 このビデオは、インフォメーションパワー(アメリカの学校図書館の基準であり、情報リテラシー教育の基準)を、実際に小・中学校の授業の場で生かすために作られたものだそうだ。



 視る側は、まず12巻から驚かされる。日本の小・中・高校の図書館ではほぼ許されない行為、例えば踊る生徒、座椅子に座る生徒、飲み物片手に議論する教師達が登場する。何の為に踊っているのか・・・・それは、図書室が発表の場であり、展示会場でもあるからなのだ。



 図書館での授業風景というと、日本でも普段の教室での黒板を向いたスタイルとは変わるものになるが、アメリカでは、百科事典類の資料と同様に、コンピューターが身近に置かれている点に特に違いを感じた。このビデオ、8年前の制作である。今の公立高校でもPCが置かれるようにはなったとは言え、数台のお粗末さ。それに比べると、さすがアメリカである。



 さらに、日本とは随分違うなーと思ったのが、教師以外のスタッフの多さである。実際、教師らしき人の見当はつくが、誰がスクールライブラリアンか、誰が親のボランティアなのか見分けられない。



 2巻と5巻は、仲良し女の子二人組と、男の子二人組を主人公にドラマ仕立ての構成。2巻は、授業で発表することになった女の子二人組が、「rubric」という手順をもとに、スクールライブラリアンの援助を受けて、よりよい発表を完成させるお話。5巻は、自転車道の移転を阻止しようと、男の子二人組が試行錯誤する過程で、よりよいスピーチの方法を学ぶというお話。どちらも、最近の学習指導要領で強調される「聞く・話す」力や、総合学習の発表を先取りしている感があって面白かった。



 出席者のコメントは、一気に総合学習における発表のありかたに集中した。米国では、小学生から毎週「show&tell」でスピーチ力を鍛えられるから、こんなことが出来るのではと言う意見、日本では、発表が主であるにも関わらず、テーマ決めに終始してしまいがちと言う意見、もともと聞く文化が育っていないのではと言う意見・・・。



 そして、何故、日本の高校生は自己表現できないのか?という問いかけに発展した。



 ここでゲストの五嶋先生(東海大学)から、「今、東海大学では、『読み、書き、調べ、スピーチ、発表、プレゼンテーション』の流れを常に重視しています」との言。氏はT学園中・高校の教師でもあり、 ひとりずつ書かせた絵コンテをグループに戻し、そのグループからひとりの作品に絞り、映像化を図るという実践で、空気を読む(!)生徒達を揺さぶっているそうだ。



 図書館は静かに調べ物をする場所でもあろう。しかし、調べ方がわからない、発表のしかたがわからないという段階にいる人々には、「rubric」のような手順が必要だと感じた。日本にはこういう思想がない。少なくとも、国語教育の中で、こういう視点で作られた評価基準はない。



 アメリカの学校図書館は、「学校の心臓」として、校内でもっともロケーションがよい場所にあるという。これだけでも日本とはかなり違った性格付けをされている。



 今、教育界はおかしなことになっているが、この停滞に風穴を空けるには、元気な司書を中心に、各教科の教師たちや多くの大人を巻き込んで、柔軟な学びの場として、図書館が機能していくことにあるのだろう。 



 高橋さん、発表お疲れ様でした。東海大の五嶋先生、ゼミ生の三重堀さんありがとうございました。  



                                            文責:遠藤智子