2005年5月29日日曜日

第二回例会「CMを批評する」授業 についての覚書

第2回の例会の報告を兼ねて、覚書のイメージマップをアップします。
2枚目の下3分の一は、当日話し合われたことをもとに自分が考えたことです。
沢山のCMを立て続けに見るという非日常的な体験を通して、参加者の記憶に残ったCM投票結果が各自の文化的背景によってか、また当日持ち合わせていた興味によってか、微妙にバラける現象を興味深いと思いました。
参加者 8名での投票結果
キンチョール(3票) マスターカード(3票)
三菱の軽自動車(2票) マンダム(2票) 東京電力(2票)
その他は1票ずつ グリコアイスの実, vodafone, tu-ka, au, ヒサミツ、 8×4、 グリコキノコの山、 マクドナルド、 LUX,  NTTフレッツ光、 イトーヨーカドー、マツケン(何のCMでした?マツケンしか残っていない) 以上。

「インパクトかコンセプトか、それが問題だ」という中山氏の言葉が残りました。投票結果を見る限り、どちらともいえないということしか判りませんでした。 というか、判ったことはそういうことです。

イメージマップはファイルが重いのか、開くのに少し時間がかかります。すこーし堪えていただけますと見ることが出来ます。

「kmnpas_.doc」をダウンロード

松ユリ

2005年5月27日金曜日

研究所主催企画第3弾

かながわメディアリテラシー研究所主催企画第3弾
8月例会のおしらせ

日時:6月17日(金)18;30~
場所:相模原市立南新町児童館(小田急線相模大野駅から徒歩5分)
   詳細地図はこのブログにあります。

タイトル:絵本「あおくんときいろちゃん」で創る授業

発表者 :中山周治(神奈川県高校教諭)

今回は絵本というメディアをつかって、絵と文、イラストとテキストの対比から何がわかるか挑戦してみようと思います。参加者のみなさんには、手分けして絵本の作者(=情報の送り手)になってもらいます。そして、同時に絵本の読者(=情報の受け手)にもなってもらいます。さて、その先は、お立会い。どんな発見、気づき(media awareness)が得られるか?
材料、道具はいっさい要りません。そして、「あおくんときいろちゃん」を予習してこようなんて、、、間違っても思わないでください。必要なのは童心だけです。(中山)

2005年5月26日木曜日

7月例会仮題

kj氏のお話、おもしろかったですね。
CMはメディアリテラシーの重要な柱になると思っています。私も、取り組んでゆきたいと考えています。

さて、再来月の予告ですが、仮題「ケータイのお勉強」です。
発表としてまとまらないかもしれませんが、これから授業にしたいことをお話しします。
(jimitsu)

2005年5月24日火曜日

「気になる」・5月例会感想

「気になる」 中山
5月定例会「『CM批評』の授業のあり方」はインパクトがあった。面白かった。
百花繚乱の観を呈するテレビCMのなかで、どういうCMがひとの気を惹くのか?この問題提起はストレートだけど、いやストレートだからインパクトがある。
10分以上CMを見続けると身も心もヘロヘロになる。その中で心に残るCMを3つ選ぶというKJ氏の企みは見事だ。あれだけの情報の洪水の中で選ばれるものとは何だろうと考えさせられるからだ。
じっさい、お茶の間で見るともなく見るCM,しかも4本から8本、あるいはそれ以上連続するCMが記憶に残るメカニズムとは何なのだろう?
「20世紀美術最大の過激な発明の1つはまぎれもなく<コラージュ>であり、<モンタージュ>という方法論」(松田行正)だとすれば、CMこそ20世紀を代表する美術であるといえるだろう。なにしろ、15秒ごとに脈絡なくイメージが連鎖するのだから。また、作品に投資される額からしても、かつての絵画、映画を抜いて(1秒いくらで換算すれば)、歴史に残る芸術でもある。
そもそもコラージュは、ダダ、未来派、シュールレアリストが既存芸術の意味性、物語性を嫌ってあらたな可能性を求める手法だった。ところが、意味を超えた無意味、非物語も次第に手垢がついてきて、なんだか予定調和的にも見えてきたりした。そこで、さらに無意味、非物語に徹した表現方法<サンプリング>やら<リミックス>が登場する。
1980年代に観た野田秀樹の演劇も当時モザイク演劇とか言われて場面がクルクル変わり、わけが分からなかった。名画座でみたゴダールの「気狂いピエロ」もさっぱりピントがあわなかった。分からないなかで自分も周囲も意味、物語を求めてそうした作品群に惹かれていったわけだ。
CMあってのTVだから、CMのコラージュ状態は昔からあったわけだが、いまや出尽くした感があって(レトロCM多いよね)、情報量も方法論も打ち止めといったコラージュ状態においてもなお、「これいいね」と選んでしまう、選ばされてしまうCMがあるのかもしれない。つまり、意味を拒絶しようとしているのになお心に残るCM、KJ氏の仮説にあった受け手と送り手の間で意味が増幅されて、多くの人が支持するCMがあるのかもしれない。
三菱の軽、キンチョール、マスターカード、ルシード、マツケン、8×4などだけを並べてもそこで選ばれて記憶に残るCMがあるのだろう。
アメリカほど政府広報のCMが多くない日本も気づいたら「強い日本」「東亜の安定、、」「イラク戦争に、、」で「1億火の玉」「欲しがりません勝つまでは」じゃ困る。キムタクが軍服着てカッコイイじゃ済まされない。巨大広告代理店の英知を共有しなくてはヤバイと思う。
Kj氏の問題提起をつっこめるのは、やっぱマイナー研究所でしょ。とKJ氏のCM第2弾をひそかに期待する今日この頃である。

さて、1、2番がクリーンヒットで出て、3番バッターの自分としては気持ちも昂ぶるわけだが、ここはひとつ送りバント、じゃつまらないよね? 目つぶって大振りだな。

第2回月例会の発表者としての反省

 kjです。先日の5月19日は「『CM批評』の授業のあり方」というテーマでの月例発表会お疲れ様でした。発表者として大変に勉強になりました。そしてゴールデンタイムにかくもお付き合いしていただきまして感謝しております。
 さて松ユリさまのイメージ図がヤフーのブリーフケースにあるのを見ました。このイメージ図はその日何が話されたのかを知る上で大変に参考になりました。なんとかこのブログに掲載できないものでしょうか?
 CMを使った授業がある矛盾をはらんでいることを改めて感じました。つまり、高度資本主義社会での商業主義を批判する授業としてCMを扱っている一方で、CMのもつ魔力を分析していくと、どんどんそのとりこになっていくという「ミイラ取りがミイラになっていく」状態にたいする教師としての違和感です。批判的であるはずが、主体的にCMの手法を学ぼうとする制作者的な立場になっていて、もう商業主義批判も何もなくなるのです。この表現は新しいとかCGのすごさとか何とかなのです。
 この発表後に私は思ったのですが、CMというメディアは何も本当の情報を伝えないメディアです。商品のイメージを鮮明に伝えますが、それは商品の影です。私たちの生活に本当に必要な情報など何も伝えないメディアです。それは日常にあって最も日常からかけ離れた、CMは空虚なメディア様式です。むしろ本当のことを伝えないために存在しているメディア様式であるとさえ言えます。本当は地球の裏側で戦争が起きていて、何人もの子供がクラスター爆弾の炸裂や不発弾の紐を持って振り回して片手を失っているのです。たとえその戦争を伝えるニュース番組も、そこにスポンサーがあってはじめて報道されるのだと考えてみても、ひっとするとたくさんのCMで成り立つ今のこの社会そのものが実は戦争を必要としている社会なのかもしれないとも思うのです。CMで成り立つ社会の最果てでは戦争が日常なのかもしれない。戦争があって初めて私たちの豊かな消費文化は成り立っているかもしれないとも、カンジるのです。
 新たな欲望の発信主体であるCMは、私たちの欲望の鏡でもあります。やはりCMは徹底して批判されなければならない問題をはらんでいると思います。 (by kj)

2005年5月17日火曜日

研究所主催企画第2弾「テレビCM批評」の授業のあり方

今回は参加者のみなさまとともに、今のCMをビデオで見て、分析をします。テレビCMの映像技法・音声技法そして全体の構成を分析し、CMが単に商品やサービス、企業イメージを宣伝するだけでなく、ステレオタイプ的な考えや、ライフスタイルなどの価値観を提示していることを読み解きます。


日時: 2005年5月19日(木) 18:30~

場所: 相模原市立南新町児童館 小田急線相模大野駅下車、徒歩5分(詳細は地図参照)


発表者:中澤


参加を希望される方は直接会場まで(参加費無料)


さらに詳しい内容は、「CM批評」の授業のあり方 を参照してください。

2005年5月16日月曜日

kmnpas blog について

blogのお引越しもようやく完了したところで、メディアリテラシー教育の研究所kmnpasが、その日々の記録と広報を兼ねてblogというメディアを選んだのは何故だろうと改めて考えて見る。

その1 メディアリテラシー教育の究極の目的、「自立した市民を育てる」という部分に、blogという民主的なメディアは相応しいから
その2 HPつくるより手軽だから
その3 blog blog と世間がかまびすしい昨今、何事も経験だと思ったから
その4 閉じた広報ではない広がりに可能性を感じたから

どれも一理あるはずだと思う。

blogを開設して2ヶ月が経って、今の感想を一言で述べると、「やっぱり発信することは難しい」だ。
トラックバックというblogならではの醍醐味をなかなか味わえない。
まめな更新がなかなか出来ない。
メンバーの記事が魅力的だと思ってもなかなかコメントに書き込めない。
ないないづくしだ。

沢山のトラックバックが付く人気blogはやはり何かがある。つまるところ、読みたい記事がある。
定期的に訪れるblogというものの他に、こちらがその時々の興味関心でgoogle検索して引っかかってくるblogに興味関心が満たされることも多い。ipod shuffleをなかなかコンピュータが認識してくれなかった時、ジュルジュ・ド・ラ・トゥール展の会期を確認するために検索した時などなど。世間にはまめにマニアックにblogを運営している人がこんなにも沢山いるのだ!ということに感心する。

kmnpas blog も出来る限りマニアックにかつ幅広く、メディアリテラシー教育を追及していきたいと思う。
(松ユリ)

2005年5月12日木曜日

コンピューター綴り方教室―子どもたちに起きたリテラシー革命を読みました。

コンピューター綴り方教室は太郎次郎社らしいレイアウトの臭さが多少気にはなるのですが、一読の価値はあると思いました。



著者、近藤さんの中学校2校の実践をまとめたものなんですが自称コンピューターコンプレックス持ちだけあり、それが程よい抑止力になっていました。



私も最近「作文はPC派」なので、「コンピューターは作文が書ける人にはただの清書機能しか発揮しないが、書けない人には威力を発揮する」のくだりなど、同感でした。



惜しいかな、実践から10年近くが過ぎ、ソフトもハードも飛躍的に変化したコンピューターに内容がずれた部分もあります。その辺りこそ、ケムンパスの力が発揮できるのではと思いました。



いずれケムンパスとして実践を本にまとめる時にも参考になるのではと思います。(遠藤)



2005年5月1日日曜日

『CM批評』の授業のあり方

 5月のかながわメディアリテラシー研究所の月例会は、5月19日(木)6時30分から南新町児童館で行います。今回の発表者はわたくしkjこと中澤です。テーマ「『テレビCM批評』の授業のあり方」です。
 今回は参加者のみなさまとともに、今のCMをビデオで見て、分析をします。テレビCMの映像技法・音声技法そして全体の構成を分析し、CMが単に商品やサービス、企業イメージを宣伝するだけでなく、ステレオタイプ的な考えや、ライフスタイルなどの価値観を提示していることを読み解きます。
 そのためにはどのような手法を用いればよいのでしょう?『テレビCM批評』の授業はどうあればいいのでしょうか?
 テレビCMは単に経済学の文脈や消費者教育の文脈で展開されるだけではなくて、「映像言語」という新しい言語、新しい意味の組み合わせを形成する新しい言語であるとする記号論的な分析が求められていると思います。
 現代では商品にではなく、商品のイメージに高いお金を支払っているともいえます。商品そのものではなく商品の持つブランドイメージの対価として高額な支払いをする。ナイキの運動靴はそういうものです。では、マクドナルドは?ディズニーランドは?
 テレビCMを記号論的に読み解く…。はたしてこの企てはうまくいくかどうか。楽しみにしていてください。
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