2006年12月24日日曜日

第20回例会  2007年1月例会 テーマ『5-7-5秒で世界を切り撮る』

日時:1月12日(金)6:30~ 場所:相模原市立南新町児童館



担当は、中澤邦治と遠藤智子さんです。



今回は句会タッチの映像づくりのワークショップです。



俳句の句会のようにその場で映像をつくり、それをみんなで見て楽しみます。題して『5-7-5秒で世界を切り撮る』映像会という新しい試みです。



予定を1週間早めて1月12日(金)6:30~ 実施になりました。場所はいつものところです。



今回のねらい ①Windowsのビデオ編集ソフトMovie Makerを使って簡単な映像作品を作る。 ②映像作品製作にあたってはモンタージュの技法を学ぶ ③出来上がった作品を皆で鑑賞して、批評し合う。 ④映像作品の構成方法と俳句の作り方の共通点や相違点を分析し、文字メディア表現と映像メディア表現の相関性や相違点を探る。



以上のことに興味のある方、ふるってご参加ください。それと、学校や会社でプレゼンをやる際に、パワーポイントだけでなく、編集した映像も映してみたいという人もきっと参考になります。また、ホームムービーや学校行事等を撮影だけでなくきちんと編集したいと思っている人にも参考になります。



事前に用意するもの ①ムービーやデジカメで撮った動画ないし静止画(MPEG/JPEG形式のもの)を作品素材として持参してください。(記憶媒体はフラッシュメモリーやCDRなど互換性のあるものにしてください。) ただしムービーの場合はムービーをそのまま持参してもいいし、ミニDVテープのみの持参でもよいです。なお、SDカードは不可なのでムービー本体を持参してください。(アナログ系のムービーはカメラ持参でお願いします。それをそのままプロジェクターに映し出して、その画面をデジタルムービーで撮影して作品素材にします。) ②必要ならば、音楽CD。映像と合わせたいBGM用として使用します。 ③なお、Movie Makerというソフトの入っているノートパソコンを持っている方は持参してください。



課題 作品のテーマ設定はありません。自由です。それでは作りにくいという人は季節の風景を課題にしてください。(俳句の兼題のように)とにかく、あなたの伝えたいことがそのままあなたの映像作品のテーマです。



作品例があります。 メンバーの方は中澤が作った作品を見れます。メーリングリストのグループのページのブリーフケースの中にあります。(2006年12月22日付け)ファイルタイトルは「菊の情景」(5-7-5のような感じ)「猫の秋」(5-7-5-7-7のような感じ)メディアプレーヤーで起動します。(マックユーザーの方はメールで連絡してください。)参考にしてください。続編も製作します。遠藤さんの俳句を選んで、その世界を映像に表現してみようとも思っています。乞うご期待。



当日の流れ ①持ち寄った作品素材をパソコンで編集する。(事前にメーリングリストのグループのファイルホルダーを使って作品を製作していきたいと思います。したがって当日の参加者には映像編集に慣れていて出来上がった映像を持ってくる方がいると良いですね。当日ごたごたせずに事が運ぶと思います。) ②プロジェクターで皆で鑑賞する。 ③俳句などとの文字メディア表現との共通点や相違点について考察する。 ④DVDに焼く。(時間がないかもしれません)今回のワークショップの作品製作上の留意点 ①作品は5・7・5秒の3カット(ショット)で構成するか、5・7・5・7・7秒の5カットで構成するか、5・7・5・7・7・5・7・5の8カットで構成する。 ②基本的に秒数は目安なので厳密でなくても良い。ただし、カット数は3カットか5カットか8カットかを選び、厳守する。



今回のワークショップのタイトルにひそむねらい 映像作品製作の入門編としてよくおこなわれるものにワンシーン・ワンカット映像作品製作があるが、これはシンプルであるがゆえに初心者にはかえって抽象的で難しい。そこで今回は、カットの組み合わせで個性的な表現が思い思いにできるモンタージュ技法を採用した。俳句がいわば数個の言葉によるモンタージュ手法の文芸だとみなせば、映像作品も逆にそれになぞらえて、俳句短歌等の詩歌で一般的な定型詩の5・7・5・7・7の31文字を機械的に秒数にしてみた。したがってそれぞれのカットの秒数にはあまりこだわりがない。むしろ映像表現では、カットの散らせ方にほどよいリズムというものがあると思われ、ワンカットの秒数も気持ちのいい秒数というものがあり、そこらあたりを工夫してみるといいだろう。(皆さんの作品を比較したいのでカット数は3か5か8かにしてください。8カットで31秒である。これはほぼ30秒CMの長さと同じである。なお作品はたくさん作ってもいい。)(註 モンタージュ:映画で、各ショットのつなぎ方で、単に足したもの以上の新しい意味を作り出す技法〔広辞苑〕)



映像製作教室のお誘い メンバーの方はメーリングリストのグループのブリーフケースを使ってやり取りします。基本的には静止画やMPEG形式の動画(素材)をブリーフケースに投げてください。あとはメールでやり取りします。とにかく素材がありそれを編集するコンセプトが人に説明できれば作品は出来ます。メンバー以外の方は当研究所に連絡をお取りください。メールの添付ファイルでやり取りします。(以上)



2006年12月18日月曜日

12月例会参加者の声

「オノマトフォト:写真を使ったコミュニケーションの授業」のワークショップに参加した。南新町児童館のたたみの部屋で、持ちよったおかしを食べながら・・・このアットホームな感じがイイ。



5冊の写真集の1ページ目の写真を見て、擬音語・擬態語をつけ、理由も書く。まずはひとりでやってみる。そして3人の班に分かれ、3人の擬音語・擬態語からひとつを選び、なぜそれを選んだのか、他にはどんなものが出てきたかを各班で発表。



班では3人の見方が全然違うのにおどろき!どれにするか悩んでいると、隣から「シューン」とか「もえ~」とか声が聞こえて、大笑い。



感想や意見を言葉で言うことが苦手な自分でも、擬音語・擬態語なら感覚で言える。何を言っても間違いではない。そういう生徒には、とても参加しやすい授業だと思う。そして、写真を見る目や意識がかわってくるだろう。



「かくん」「てくてく」「ずんずん」「ほくほく」「すー」・・・宮さんって写真の中に自分が入って何かを感じるんだね、と指摘され、新しい自分も発見することもできた。中山先生ありがとう。(宮)



2006年12月1日金曜日

Know It All ビデオ講演あれこれ

 11月24日(金)旭区文化センターサンハート(二俣川駅徒歩1分)で、「アメリカの情報リテラシー教育のビデオから」と題した講演を行った。内容は6月例会「アメリカの情報リテラシー教育“know it all”ビデオシリーズを見る」とほぼ同じ内容。



 違うのは、使った2巻、5巻の教材ビデオに対して日本語訳のペーパーがついたこと、2巻、5巻を大学の授業で使ったときの学生の感想がついたことぐらいだ。



 このビデオシリーズを、学校図書館関係者以外の人がいる場所で使うのは、kmnpas6月例会を除けば、今回はじめてといっていい。どう受け取られたのかがとっても気になったのに、当日は講演後の質問も出ずあっさり終わってしまった。そこで月曜日、上溝からの参加者に聞いてみた。





A(英語科):生徒に細かくケアしている。私たちはああいう授業をする訓練を受けていない。いざやろうとしてもやり方を知らない。



ビデオでは地域に出て行って学習を行っている。前任校では、総合学習の際、校長に学校外に出て行くな、と言われた。



民主主義の背景、大事だ。



B(理科):最後のまとめ、気に入った。(民主主義部分ですね-E.T.



大学生のコメントがよかった。



教師も図書館の側もああいう学校図書館の使い方を知るべきだ。





 司書の参加者にも電話してみた。



C(学校司書):はじまる前に同じ学校の教師から、学校図書館がこういうことをやるのか、と聞かれた。教育会館からの挨拶にもあったが、情報リテラシー教育が図書館と関係あるの?からはじまる感じ。





ところで面白かったのは当日の午後、思いついてイギリス人のALTに、このビデオを見てもらい感想を求めたこと。ビデオを見せる前に、聞いておきたかった学生から出た疑問だとか、言葉の確認などもしたが、アメリカとは異なるイギリス人としての反応(?)が面白かった。



D(ALT):(12巻目、学校図書館で演技やコンサートが行われ、歌ったり踊ったりしている点について)イギリスではこういう使い方はしない。すごくアメリカ的だと思う。アメリカの書店はカフェがついていたり、CDが聞けたりするから。



(ライブラリアンはいるのか、に対して)小学校ではいない。



(2巻目、子どもたちが手順表を使って自分たちの作業の進行状況をチェックする。これ、本当に子どもたちが使えると思う?の質問に対して)このアイデアはいいと思うけど、もう少し言葉を工夫するなどしないと、普通の子どもたちには使えないんじゃないかな。使える子もいるとは思うけど。



(5巻目、子どもたちが政治活動をする。このシーン、日本人にとってはとてもショッキングなシーンなのよね、に対して)中国もそうだよね。自由がない。



(子どもが公聴会でスピーチする。)うわー、見たくない、ひどいよ。結局大人が子どもたちを操っている。(manipulateの単語を使ったのが印象的)アメリカはメディアがプロパガンダに終始していて、場合によっては潜在意識に訴えるやり方(subliminal)も使われている。アメリカ人は何も知らないし、心が狭く、宗教的な縛りが強くて、ディベートの授業で取り扱うテーマにしても、イギリスで扱えるテーマが扱えないということがある。僕だったら、このビデオを授業で使うということはしない。ひどすぎる。





 というわけで、実際にはもっと言葉を費やしたアメリカ批判が展開されたのだった。しかも早口でいろいろ言うので、ちょっと待って、早すぎる、と止めたくらい。ニューヨークは別だとも言っていたが、ニューヨーク以外の場所、ディープサウス(深南部)のようなところを例にあげ、アメリカ人は心が狭い(narrow-minded)と、繰り返した。



 彼が言っていたことを正直全部追えたわけではない。イラク戦争が出てきたり、ディベートのことももっと細かく言っていた。確か彼は教職経験があるという話だったし、「僕だったら、このビデオを授業で使うということはしない。」との発言もその経験があってこそなのだと思う。



 実は大学生の感想の中に「やさしい言葉に言い換えるという主旨のビデオだが、やさしい言葉というより、より説得力のある言葉にするということが求められていた。」というのがあり、イギリス人の彼はたぶん、ビデオのこの部分に反応してしまったのではないかと思う。



 あの自転車道路の5巻目、公聴会のような場で子どもに発言させるという手法は、『ライブラリアン奮闘記』(リーパーすみ子 径書房)でも実際にあったこととして記述されていて、アメリカではよく使われる手法だということだが、それってヤラセ的な感じもあり、聞き手は大喜びして拍手喝さいなわけだけど、何かひっかかる気がしないでもない。5巻目のビデオに対するイギリス人の彼の猛反発を面白いと思いながら、そんなようなことを考えたのだった。



2006年11月22日水曜日

研究所主催企画 第19弾 12月例会のお知らせ

内容: オノマトフォト・写真を使ったコミュニケーションの授業



報告者:中山周治(神奈川県高校教諭)





日時:20061215日(金)1830 21:00



場所 : 相模原市立南新町児童館



      小田急線相模大野駅南口徒歩5分 南口を出て駅を背に直進、3つめの信号「相模大野9丁目」アイ眼科の角 



      を右折、左2軒目





オノマトフォトとは、オノマトピア(擬音語、擬態語)とフォトをくっ付けた私流造語です。写真を批評する授業をどうつくっていくか、と意気込んだものの、当然のごとく壁にぶち当たりました。そこで苦肉の策でやってみたのが今回の実践です。まずは意見の表明、交換。ここらあたりをうまく、ヨイッショと画策しないと、批評なぞとても覚束ない。



起死回生のアイデアにはなっていないのですが、どこかに見所がないだろうか?ワークショップ形式で「オノマトフォト」に参加してもらい意見交換をしてみたいと思います。



2006年11月21日火曜日

11月例会報告

高橋恵美子さんによる「ブックトークを考える」は予想に違わずとても面白かった。



まず、ブックトークの定義と実践の流れについてのレクチャー。86年の岡山の学校司書のグループによる『ブックトーク入門』以前は、アメリカで行われているブックトークなるものを日本でもやってみませんか?という紹介のされ方のようだ。
1959年、1974年の『学校図書館』にブックトークの実践方法について書いているのはアメリカでの図書館で児童サービスを経験している渡辺茂夫であり、松岡享子であったことに驚く。(そんな古い『学校図書館』バックナンバーが上溝高校図書館に保存されていることにも驚く)
現在、日本のブックトークは岡山理論というか学図研理論というものに理論づけられており、「テーマ性、メッセージ性」がなければならず、「必ず」複数の本でなければならず、単なる「本の紹介」とは違うということが強調されている。しかし、現在アメリカでは、booktalkは、本の紹介も含めて使われる用語だという。



Booktalk 次に高橋さんのブックトークを聞く。テーマは「踊る、ダンス」。 参加者が密かに期待していた高橋さんの踊りは見せてもらえなかったが、ダンサーの書いた本、ヴィジュアル本と小説をバランスよく組み合わせた6冊が語られたのだった。Booktalk1



その後の議論はいい感じに沸騰した。
S:何故アメリカから取り入れたんだろう?
T:1950年代までは日本の図書館は来た人だけを相手にすればいいという感じだった。そこに、アメリカでは図書館員はもっと打って出ているということで紹介されたのかもしれない
R:国語教師としては「本の紹介」と「ブックトーク」を分ける意義がわからない
K:いったい「よいブックトーク」と「悪いブックトーク」ってあるんだろうか?みんなが紹介された本を手に取ることが増えれば「よい」のか?実は違うんじゃないか。みんなが聴いてくれることが目指されているんじゃないか。日本のブックトークは何らかの教養なり知識を伝授する手法なんじゃないの?そうだとすれば半端な教授法なので、「知りたくもないものを詰め込まないでよ」という批判は当然出てくるだろう。そうではなくて、聴いている人が「あんな風に出来たら素敵だ!自分もやってみたい」と思う、そういうものを伝授するものなのか?もしそうなら「読書教育」とは違う。むしろ「スピーチ」の教育か?本には「物神性」があるから、本をメディアとしてなんらかの教養や文化を広める行為 っていう定義の方がぴったりだよ。
S:じゃあ、漫才みたいなブックトークはないの?エンターテインメントっぽいでしょ?
T:アメリカでは対になって紹介し合うということは授業でよくやっているけど・・・
K:12チャンネルのテレビショッピング的ブックトークはありか?
T:とにかく型にうるさいのが日本の特徴。本は必ず見えるように掲げて、テーマに沿って複数の本を紹介するのじゃなければブックトークではないというように。
S:でも、実際生徒に本を選ばせる活動の時は、テーマが先の場合が多いの?本が先なの?
T:やっぱり、テーマが先の場合は少ない。紹介したい本があって、そこから関連の本をどうチョイスするかということで組み立てていくプロセスを司書がアドバイスする。
S:高橋さんは40分のブックトークもするっていうけど、俺だったら、30分もブックトークしたらもったいないと思ってしまう。15分やって、あとの15分を聞き手が行動したり、やりとりする時間にしたいと思ってしまう。何故なら、ブックトークを聴いてると、自分も紹介してみたくなる。とにかくチョイスしたくなる。ブックトークはチョイスの問題だ。選ぶことそれ自体に面白みがある。
J:ブックトークで伝えるものは2つあるよね。1つは「内容」もう1つは「方法」
本の内容を伝えるんだけど、それは例えば大学のゼミでの文献紹介と何が違うんだろう?「内容」だけなら「本の紹介」となんら変わらないし、たとえ1対1でもスリリングな時はある。でも、紹介の仕方、方法自体を伝えているから「ブックトーク」なのかも
「内容の伝え方」ということではまさに「メディアリテラシー」だよね。



言いたい放題が楽しい議論のさなか、敢えてダサい質問を高橋さんに投げかけて見る。
M:結局、高橋さんはブックトークの何が疑問だと思ってこの例会を企画したのか?
T:う~ん。まず、ブックトークはやりたいの。(笑)だけど、例えば、3冊目に山場が来る、明らかに飽きちゃったっていう生徒の存在を意識した場合、それに対して工夫するのか?という疑問がある。
S:俺なんかは、聴衆に任せればいいと思うんだよね。興味のある部分で覚醒するというか、身を乗り出すけど、後は流すでいいんだと思う。それに、テーマってことにもこだわりすぎるのはどうかと思う。今はテーマがウザい時代。なるべくそんなものは無いように振舞う方がクール。時代とともに振れていくものだからまたテーマがかっこいいという時代になるかもしれないけどね。
M:そうすると、今の日本のブックトークの型はもう古い!みたいな感じだよね。「ブックトーク再々考」書いたら?(笑)
公共図書館の司書さん:あまり型とかむずかしく考えないで、今まで興味のなかったものに興味を持てるようになればいいと思う。
M:結構、図書館屋さんは「本と人とを結びつける」ためにって考えてブックトークもやってると思うけど、実は人と人を結びつけるためにブックトークはあるんじゃない?



(文責 松田ユリ子)



2006年11月5日日曜日

研究所主催企画第18弾!11月例会のお知らせ

11月例会はブックトークです。よろしく。



内容:ブックトークを考える ~実演「踊る、ダンス」~



報告者:高橋恵美子





日時:20061117日(金)1830





場所:相模原南新町児童館(小田急線相模大野駅南口徒歩5分。南口を出て駅を背に直進、3つ目の信号「相模大野9丁目」アイ眼科の角を右に入り、左側2軒目です。)





ブックトークは近年広まりつつある本の紹介方法です。もとはアメリカで行われていたものですが、日本ではアメリカとは異なる方法で定着しています。







司書の仕事のイメージを変えた実践法ですが、そのメッセージ性に関しては当初から議論がありました。まずはブックトーク実践の流れをたどり、その後上溝高校での高橋の実践を報告します。







実演「踊る、ダンス」は昨年2年の国語表現で行ったものです。この授業で生徒たちが行ったブックトークについても報告する予定です。







実演「踊る、ダンス」、気楽にお楽しみください。







その上で改めて、ブックトークについて高橋が考えている問題点その他を、参加者とともに考えていきたいと思います。















白雉市民映像祭2006「今、映像教育を考えるシンポジウム」面白かったです。

素晴らしいホールを会場としながら、聴衆にお菓子が回ってくるようなアットホームな雰囲気漂う手作りの会であった。



「学校教育の現場における映像教育の実践」者としてパネラーとなった方々の実践はどれも面白く、映像を交えての1人20分というプレゼンの制約はあまりに短かった。みなさん実践の背景が違うので、その説明が無いと中身に入れないということもあり、せかっくのバラエティに富んだラインナップを充分に堪能出来るディスカッションの時間がほとんど無くなって残念だった。



それでも、質疑応答の中から面白い気づきは沢山得られたと思う。



特に、通信制高校での部活動として生徒と映画製作を行っているKJには質問が集中していた。Photo 「The 通信制高校」という第1作の「上手すぎない」映像の力が、表現を教育の現場で行うことの本質に迫る何かを見る側につきつけるせいかもしれないね~と、帰りの江古田の飲み屋で話していたのだが。



質疑応答は以下のようなものだ。



対話プロジェクトメンバー:映画を作ってみて生徒がどう変わったか?



KJ:生徒が変わったかどうか、あるいはどう変わったかということについての検証方法がよくわからない。ので、そのことは今後の課題だ。ただ、1作目に出演していたYさんが、2作目の映画の原案を作った。でもなかなか撮影が進まない。もう無理して撮らなくてもいいと考えてもうやめようと生徒に話した晩に、Yさんから自宅に電話があって「やっぱりやりたい」というようなことはあった。これはすごいことなんです。思うに何かが変わったかどうか検証する方法なんてない。1つ言えるのはカメラってすごい魔力があるということだ。何故なら、人はそれを向けられると必ず演技をするからだ。これを教育現場で使えないかと思っている。



学芸大学大学院生:授業、例えば総合などでも出来ると思うか?さまざまな制約との兼ね合いは?



KJ:自分はたまたま部活でやったが、総合でも出来ると思う。制約については考えていない。ただ、「しくみ」としてこれを定着させようとは考えていない。この実践は、映像教育としての教育方法論だ。



そして、この大学院生の2つ目の質問が、参加者のさまざまな発言を引き出したのだった。質問は、評価にまつわるものだったと思う。みなさんの実践は表現を扱っているので美術教育だと思うが、評価の部分で美術教育で進めるべき感性と相容れないのではないか というようなことだったと思う。



清水氏:自分はむしろ、「情報リテラシー」を教えている。映像を使って教えるのも、「情報リテラシー」教育のためのさまざまな方法の一つに過ぎない。だから、敢えて映像教育をしなければならないとは考えていない。



小川氏:自分がやっている「対話プロジェクト」はアートだと思っている。生徒がたまたま社会的なものとして捉え、教師が教育の中で引き取って、何かになる、面白そう!というところから始まっている。「対話プロジェクト」はNPOでもなく、NGOでもない、実は「band」じゃないか。「バンドやろうぜ!」という声にどう応えていくかが我々のプロジェクトだと思っている。



佐藤氏:映像作品を評価する時に、2つある。まず、第1段階としては、デザインの評価と同じように、「条件をどうクリアしたか」を見る。そして第2段階で、「あなたはこの作品のどこにいるんですか?」ということを問いかける。つまり、主体性は?視点は?と聞きながら、そこにあるコミュニケーションや本当のものを見る眼というようなものがあるかを問うていくしかない。あなたはこれを作る必要があった?あなたはこれを作って何を発見したのか?ということだ。これらはすべてパッケージ化出来ない教材だ。



コメンテータを務めていた佐藤氏は、発言の中でこんなことも言っていた。



「18歳以下の、全員がプロを目指すということではない生徒たちに対する映像教育では、生徒たちが楽器のように映像を使えるようになるといいと思う。」



他に印象に残った発言では、加藤氏の「市民メディアにとって重要な課題は、地域のマイナスの部分をどうするかだ」というものがある。確かに、地域おこしとしての市民メディアがもてはやされがちだが、地域で「公正」な報道を追及することは可能か?とか「公正」とはどういうことか?とか、自分なりの新たな疑問に行き当たる面白い機会となった。



あ、それと、江古田の商店街の喫茶店「ぶな」はおすすめです。



(文責 松ユリ)



2006年11月2日木曜日

11月3日 武蔵大学の白雉市民映像祭2006に出ます。

 所員の中澤です。



 11月3日(金)文化の日に武蔵大学主催の白雉市民映像祭のシンポジウムに出ることになりました。私が出るのは「今、映像教育を考えるシンポジウム…学校教育の現場における映像教育実践」で、時間は、18:00~20:00です。詳細は以下のとおりです。



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「白雉市民映像祭2006」の御案内
 武蔵大学(東京都練馬区)では、11月の学園祭(白雉祭)期間中の3日、5日に、「白雉市民映像祭2006」を開催します。
 この内、5日のシンポジウム「映像がつなぐ地域社会」は、練馬区と共同で練馬区NPO活動支援センター事業の開始を記念して行います。 講演、シンポジウム、東京ビデオフェスティバル事務局による「市民ビデオの30年史を語る上映会」、全国の映像制作団体による招待作品上映会&活動紹介と盛り沢山の内容ですので、ぜひ多くの方の御参加をお待ちしています。
 なお高校生映像制作ワークショップ、映像コンテストの参加募集をしています。詳しくは白雉市民映像祭のサイトをご覧ください。



[サイト]http://www2.musashi.jp/nnpoc/
[日時]11月3日(金・祝)9:00~20:00、5日(日)10:00~19:00
[会場]武蔵大学8号館8階50周年記念ホール、その他
[費用]無料
[問い合わせ]武蔵大学 企画運営部 企画広報課 公開講座係
       〒176-8534 東京都練馬区豊玉上1-26-1
       TEL:(03)5984-3713、E-mail:pln@mml.sec.musashi.ac.jp



11月3日(金)文化の日
■今、映像教育を考えるシンポジウム…学校教育の現場における映像教育実践
 (18:00~20:00)
〔司会〕
◎松本恭幸
 武蔵大学社会学部メディア社会学科助教授
〔パネリスト〕
◎小川直美
 対話プロジェクト代表
 (http://www.jca.apc.org/taiwa/
◎加藤久晴
 法政大学講師、元東海大学教授、元日本テレビ・プロデューサー/ディレクター
◎清水健太郎
 群馬県立女子大学(情報処理担当)、玉川大学文学部リベラルアーツ学科チ ューター、明治大学和泉AV/ITサポートサービス(プロジェクトリーダー)、 元玉川学園高等部(情報教育で高校生の映像制作を指導)
◎中澤邦治
 神奈川県立高等学校教員、かながわメディアリテラシー研究所
 (http://kmnpas.cocolog-nifty.com/blog/



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時間のある人はぜひ足を運んでください。



また、後日このブログで報告したいと思います。



2006年10月30日月曜日

10月21日の国語メディア研報告

10月21日の国語メディア研では、東海大・五嶋ゼミの三人の学生が発表しました。そのうち二人(小原さん、三重堀君)が本会をテーマとしていました。以下、レジュメの題と項目等について報告します。



小原さん 「公立高校とメディアリテラシー教育」
はじめに
(1)海外のメディアリテラシー事情~アメリカのメディアリテラシー教育
 1.アメリカにおける「情報リテラシー」とは
 2.日本にはないアメリカのインフォメーションリテラシーの特色
 3.図書館学習のメリット
 4.まとめ
(2)日本のメディア教育現状分析
 1.メディア論の授業内容
 2.具体的な授業例
 3.中山先生が生徒に教えたいこと
 4.高校生にメディアを教える上での工夫点
 5.総合学習の選択授業としてのメディア論の問題点
 6.生徒たちの要望とは
 7.まとめ *
(3)公立高校メディア教育デザイン
 1.授業にて(生徒)
 2.総合学習外で(生徒)
 3.職員室にて(職員)
 4.学校外で(教師)
おわりに



三重堀君 「高等学校段階におけるメディアリテラシー教育への提言」
1.はじめに
2.海外のメディア教育分析
 ○カナダの事例考察
 ○オーストラリアの事例考察
3.日本のメディア教育現状
 ○相武台高校フィールドワーク
 ○kmnpasフィールドワーク
4.提言
 ①適切な基準を設けるべきである
 ②教科間の相互連件を図るべきである
 ③生徒にものづくりを経験させる



印象に残ったのは三重堀君の「提言」。学生の目からよく分析し、考察していることが伺えました。
本会については小原さんが*の所で次のようにコメントしています。
「勉強会も頻繁に行われるべきである。教師同士の意見交換や授業実践を発表し合うことで、自らの授業にもバリエーションが広がり、自身だけの画一化を避けることができる。現在も「かながわメディアリテラシー研究所」や「川崎市国語メディア研究会」などの研究会が行われている。しかし、まだ規模は小さく、全国にもあまり存在しないのが現状だ。」
五嶋先生が丁寧かつ実践的に指導なされたことがよく分かりました。



私にとって収穫だった、というか嬉しかったことは発表者三人の存在そのものです。私には、彼らの姿が「メディアリテラシーを身につけた姿」に見えました。つまり「メディアリテラシーを学ぶと、このようになる」と思えたことです(主催者の中村さんも同様に感じたようでした)。あらためてメディアリテラシーを教えることの意味を確認するとともに、修論の大きなヒントになりました。小原さんが感想の中で「概念を裏から見るような感じを持った」とコメントしていたことが印象的でした。
(鈴木)



2006年10月23日月曜日

「LibraryNAVI」をつくるに参加しました

厚木西高校司書の宮永さんにおいでいただき、ワークショップを行いました。



Kmnpas1020



何の予備知識もなく、参加してしまいましたが・・・おもしろかった!



LibraryNAVI(通称びろびろ~ん)とは、求めている情報にたどりつくお手伝いをする小さなパンフレットのこと そのルールはたったの2つ



① 表表紙に「LibraryNAVI」のロゴを入れる



② 裏に自分の「myロゴ」を入れる



見出しは5つ。この5つがポイント。起承転結・序破急など文章構成法で考えると1つ足りない。う~んどうするか? ここで、多方面からの柔軟な発想が求められるというわけです。



Kmnpas1020b Kmnpas1020a



しばし実作・・・ そのあと互いの作品を発表しあいました。



5面を1面ずつに分けて考えた人、裏と表の2面として大きく捉えた人、様々でした。そこで見えてきたこと 



 ・これってメディアリテラシーというより、広い意味での発想法なのでは?



 ・行ったり来たり、どこから開いてもOKというしなやかさが素敵!



 ・メディアリテラシーの表現と言ったほうが適切だ。



 ・引用自由、改変自由というLNの特性こそメディアリテラシー的なのでは。



 ・いくつも組み合わせて使えるところもおもしろい



 ・HOW Toもの以外の展開は? 授業で使える工夫は?



最後の疑問に関しては、図書委員会の生徒の自己紹介にLNを利用した、宮さんの実践例があります。県央地区のLN一覧などもいただき、参加者としては、ほくほく気分で帰路に着いたのでした。                        (文責:chiesan)

















2006年10月22日日曜日

LIBRARY NAVI は黄金比!

















































皆さん



こんにちは昨晩はお疲れ様でした。kjです。061020_023
Library NAVIはとても面白い情報伝達ツールだととても感心しました。新しいメディア、紙ベースの最後のアート系メディアとして、綴じられた書物の形を捨
てついにデジタル社会に登場したか…という感があります。(エルメス・えるめす―これはお囃子言葉です。)地上に降りた最後のメディア、かの大発明のグーテンベルグ印刷機がマルティン=ルターの約したドイツ語訳聖書を爆発的にドイツに広げ、宗教改革を成し遂げたごとくに、このLIBRARY NAVIはデジタル社会の自転車的識ビークルになって、こまわりを利かして隙間隙間の「無知の闇」を明るく照り輝かせてくれるかも知れないと思ったのです。(エルメス・えるめす)そうなんだ。(エルメス・えるめす)美しい詩人は死んでしまった。しかし今ここに天使の羽根のように軽く、軽く、、誰にでもハイといって渡せるほどに軽く、渡された人にも捨てるに軽く、しかしなぜか捨てることあたわず、(エルメス・えるめす)そっとポケットにハンドバッグにしまいこまれる、いつかまた知りたいときのために、、、ハードとソフトが未分化な、だからこそいつでも自由な情報のツールとして、頭と目と手の延長のまさしく生身の身体の一部として、知的に自分を包み込むアートとして(エルメス・えるめす)LIBRARY NAVIは今、満を持して現れたのです。(以上L・N讃歌集より序文)



ゲストの宮永さんありがとうございました。



 さて本題に入ります。やはり、黄金比(黄金分割)でした。したがって手にしてみて大変に気持ちがいいわけです。長いほうが13cm。短いほうが8cmです。これは1:1.61803398の黄金比です。またこのA4サイズのLIBRARY NAVIは私の手元のものではZIPPOのオイル缶とまったくおなじサイズです。ZIPPOの缶のが時間的に先ですが、Library NAVIアプリオリ説(すでにその存在は観念的に知られていたが、デジタル社会にその登場が予定されていたいう説)に従うとZIPPOがLIBRARY NAVIの出現を予兆していたと見ることが出来ます。(以上)



2006年10月21日



中澤邦治



2006年10月5日木曜日

研究所主催企画第17弾!10月例会のお知らせ

ようやく秋が深まってきました。久しぶりにkmnpas例会のお知らせです。



内容:ワークショップ 「LibraryNAVI」を作ってみよう!     ゲスト:宮永敏明氏 報告:松田ユリ子



日時:2006年10月20日(金) 18:30~



場所:相模原南新町児童館 (小田急線相模大野駅南口徒歩5分。南口を出て駅を背に直進、3つ目の信号「相模大野9丁目」アイ眼科の角を右に入り、左側2軒目です。)



「LibraryNAVI」は、メディアリテラシーを育むツール・メディアとして考案されました。そのネーミングからは予想もつかない思いっきりアナログなメディアなので、手を使って作る行為そのものが思考に直結している感覚を味わうことが出来ます。



ワークショップでは、「LibraryNAVI」創世記〈2001年〉からの重要な考案メンバー、通称「司書の宮さん」こと宮永敏明氏をお招きして、作り方のインストラクトをしていただきます。



その後、参加者各自が世界に一つだけの「LibraryNAVI」を作ります。



それから見せ合いっこします。



その後、松田がこれまでの実践や理論についてレポートし、それをたたき台に意見交換を行いたいと思います。



何も準備は要りません。どうぞみなさま、LibraryNAVIの楽しい世界を体感しに来てください。お待ちしております。







2006年9月18日月曜日

市民メディアサミット06kmnpasセッション参加者の声

◆情報量が膨大に流れている現状においては、学生はもちろんのこと社会人においても情報リテラシーの教育は必要であると感じました。情報の受け手側の責任、読解力やメディアに対する危険性(情報操作を含めて)もっと理解をしなければいけない時代ではないでしょうか。



◆現状のカリキュラムではなかなかメディアリテラシーを高校に取り込むのは困難が付きまとうのではないかという思いを持っているので、報告者の方のお話はどれも興味深く聞かせていただきました。感想としては、やはりワークショップを行った後のフォローをどうするかがとても難しいのではないか、ということを感じました。メディアリテラシーは、座学だけで獲得できるものでもないので、口頭での解説でどこまで生徒に伝えていけるかが課題なのかなと思います。私も所属している学生団体でメディアリテラシーに関連したワークショップを企画しているので、今回の報告は大いに参考になりなした。ありがとうございました。



◆それぞれに特長のあるアプローチ方法を用いてメディアという媒体を意識させないメディアリテラシー教育を行っているように感じた。ステレオタイプのメディアリテラシーという概念を取り払った方が教えやすいのかもしれない。



◆非常によかったです。メディアリテラシー教育をめぐる、社会学的、教育学的アプローチの違いについて考えようと思いました。



1本目:アメリカのメディアリテラシーの実践という内容は興味もあり面白かったが、個人的には海外の事例ならば、メディアリテラシー先進国のイギリスやカナダの話も聞きたかった。 2本目:「メディアリテラシーをどう教えるか」やワークショップなどは僕の活動とも重なるところがあり、とても参考になった。ワークショップは企画する側と参加する側の共同作業だなと実感した。両方のモチベーションが一致しなければいいものは作れないと思った。 3本目:ドキュメント番組と一緒で、最初カメラを向けられると緊張してうまく演技ができないが、慣れてくるとうまくなるなと思った。照れとか気恥ずかしさをとっぱらわなければいけないというのが印象的だった。



◆批判的メディアリテラシーではなく、創造的メディアリテラシーの実践でよかった。



◆高橋さんの発表は民主主義のスキルをどうのばすのかという点で大変参考になった。鈴木さんの発表は、何を目指す授業なのかよくわからなかった。中沢さんの発表は教育の本質をついていておもしろかった。メディアリテラシー教育の普及は難しいが、それを様々な立場から実現しようとしている人々がいることがわかってうれしかった。



◆様々な声があがってよかったです。



◆おそらくメディアリテラシーが重要だという問題意識を持ってきていると思い、とても有意義だった。具体的に、どう根付かせていくかは議論したかった。



◆いろんな論点が出て勉強になった。もう少し実践例やどうしようもない現状を変える展望が見えるような話ができたらよかった。



非常に有意義な場でした。お疲れ様です。



◆多様なリテラシー+シチズンシップ⇒高校での考え方



市民メディアサミット06セッションは盛況でした。

報告が大分遅れました。9月の高校現場は体育祭や文化祭や学期末試験で目まぐるしい忙しさです。その目まぐるしさの中開かれた市民メディアサミットでしたが、少々無理してでもkmnpas的「メディアリテラシー教育」に関するセッションを企画してよかったと思いました。東京だけでなく、京都や仙台の大学の学生さんたちを始め、思いの他沢山の方の参加があり、「メディアリテラシー教育」についての関心が巷で高いことがわかったこと、「メディアリテラシー」とは違った視点からの教育、例えば、環境教育、開発教育、情報リテラシー教育などに関心がある方が集まって話してみると、実は目指す地平は結局同じようなところにあるのかなと感じられたこと、そして何より、我々の提示したメディアリテラシー教育が「批判的」メディアリテラシーではなくて「創造的」メディアリテラシーでよかったと言ってくださった参加者が多かったことなどがやってよかったなと思えた理由です。



高橋さん、鈴木さん、中澤さん3人の報告のアウトラインはこちらをごらん下さい。



また、京都三条ラジオカフェさんがセッションの様子を一部ハイチューブでクリップしています。ご覧下さい。
http://yokohama2006.hightube.jp/allmovies.php?date=2006-09-09



報告の後、坂本旬氏(法政大学)と小山紳一郎氏(武蔵大学)にコメンテーターとして加わっていただき、「高校でメディアリテラシー教育をどう教えるか」について議論が行われました。19_3





12_3 11 フロアから寄せられた質問は以下のようなものです。



Q:報告者のみなさんはどの程度生徒に理解させることを目指して実践をしているのか?



「理解する」ことが従来の教育観における「理解」ではまったくないところが難しい。実際鈴木さんの授業のあと「CMのことがよくわかった。これからはちゃんとCMを見ようと思います。」という感想が生徒から寄せられた。「ちゃんと見る」とはどういうことか?という議論をせずには、この生徒が単にCMをよく注意して見るだけの人になろうと本気で決意しているのか、教師が求めていると思った言葉を考えなしに書き連ねて提出しているだけなのかも定かではない。かといって、正しい答えはないことを「理解」させればメディアリテラシーを「理解」したと言っていいのだろうか?「評価」とも絡んだこの問題になかなか答えは出ない。



Q:現場で、カリキュラム上の大筋から外れて実践する上での苦労する点は?



高校の学習指導要領を調べたことのある中澤さんは、メディアリテラシーという表現こそないものの、各教科にそれに類する教育を行えととれる表現が散見されると言う。ただ、現状では教科の中でやるのは中々難しい。総合学習で「メディア学」という科目を立ち上げてやってみたり、自分のように通信制高校で「メディアリテラシー」という科目を立ち上げてやってみたりだ。悩みは継続性が無いこと。せっかく立ち上げても次の年それを立ち上げる余地があるかは神のみぞ知るという状況だ。



Q:CMの授業で相互評価した生徒のコメントが単なる感想のようなものが多いが、「コメント」を上手くフィードバックさせることの出来るために工夫する点は?



「コメント」の中身については我々も議論したことがある。生徒にはコメントするポイントを前もって知らせる工夫が必要だ。良い点を褒めるだけでも、個人的な好みでやみくもに批判することでもない、相互評価としてのコメントができるようになるということは、メディアリテラシーがついた人になるということかもしれない。



Q:映画を作る際に、「スタッフ」と「キャスト」の違いをどうのように考えたか?



Q:自己表現、課題解決に向けて協働する力を育んだり、パブリックアクセスということを教育現場でやるのはとても難しそうだが?



まず、生徒には「キャスト」になってもらう。特に通信制の高校に来る生徒たちの課題は「パブリックアクセス」だ。いかに社会とコミットできるようになるかだ。彼らは何かと「ダダをこねる」。「映りたくない」「やりたくない」などなど。でも、ダダを表面に出してそこからがスタートと言っていい。生徒と映画を作ってみて、まず何よりも、彼らのパブリックアクセスのきっかけになったような気がしている。13



第1作と第2作の予告編を観てもらったが、彼らの表情や動きがどんなに変化しているかわかったと思う。第1作では、教師が全面的にスタッフとして脚本からカメラから全部やっていたのが、第2作では共同作業になってきた。現在主演の男子が第3作目のシナリオを書いている最中だ。



議論を経て、坂本氏は今回のセッションで感じたことを次のように述べました。



 今日の報告を聴いていわゆるスタンダードなメディアリテラシー教育ではないなと思った。スタンダードというのもなんだが、ありがちなマスメディア批判とかFCT的なというかそういったものではないという意味だ。メディアリテラシーとは何かということを改めて考えさせられた。全体的なものの中でメディアをどう扱うかという問題提起と受け止めた。自分なりの課題は2つある。



1つは、高橋さんの発表の「情報リテラシー」と、「メディアリテラシー」との関係を整理すること。機能的リテラシーとしての「情報リテラシー」も批判的リテラシーの「メディアリテラシー」も何か「情報力」というような大きな捉え方が必要かもしれない



もう一つは、メディアリテラシーと演劇の関係だ。中澤さんの発表にしても、鈴木さんの発表にしても演劇知というものの援用が可能かと思われた。表現する事の意味について考える授業でもある。



続いて小山氏はこう述べました。



日本では、参加型民主主義が土台になった教育になっていない。だから”Know It All”みたいな教材もないし、教材リソースセンターと言った情報交換の場も無い。未だに知識理解の教育が主流でコミュニケーションや自己表現のための教育が行われにくい。



フロアから同様の意見が相次ぎました。



ジャーナリスト氏:アメリカでは図書館にしてもスタートが違う。市民メディアとしてパブリックアクセスのために無くてはならないものとして成立している。だから、マイノリティのためのメディアだし、非常に政治的だ。スェーデンでも図書館が政治と行政のチェック機関だ。翻って、すべてコンセプトがわかりにくい中でやっているのが日本の教育であり図書館であると言える。



県立高校教員氏:「気付くこと」が大きい。民主主義の土台としての批判力にこれを結びつけていくことが出来るといい。



最後にまとめとして・・・



中澤氏:結局はTVの影響ははかりしれない。TVの見方をもう1度見直すことをやる必要がある。



鈴木氏:メディアリテラシーがついた姿とはどういう状態かを明確にイメージしたいと思う。



坂本氏:テレビも大事だが、今一番大きな問題はインターネットだと思う。単純な規制とかモラルとかいうことではなくて、メディアリテラシー教育としてどう取り扱っていくメディアかということを考えるべき時期にきていると思う。



(文責 松田)



・セッションの内容をインタビュー構成でポットキャスティングしています
(提供:ポートサイドステーション)
音声で聴く事後(直後)インタヴュー



http://portside-station.net/portside/blog/ycmc/article/atc00000030



2006年9月6日水曜日

市民メディアサミット06 セッションの会場が変更になりました!

今週末 9月9日朝9時15分からの我々のセッション「高校でメディアリテラシーをどう教えるか」の会場が変更になりました。



確定した場所は 開港記念館の9号室です。



ではみなさま、当日会場でお会いできるのを楽しみにしています。







2006年9月3日日曜日

市民メディアサミット06 もうすぐです!

かながわメディアリテラシー研究所のセッション「高校でメディアリテラシーをどう教えるか」の日時と場所が決定しました。



日時:9月9日(土) 9時AM開場 9時15分~11時45分



場所:開港記念館7号室



セッションの詳細は、こちらをごらん下さい。



また、インターネット新聞JANJANに記事を載せました。こちらもご覧下さい。



http://www.janjan.jp/media/0608/0608300319/1.php



みなさま是非いらして下さい。



2006年8月31日木曜日

メディアリテラシーの学校・参加者の声

参加者の声を掲載します。(アンケートより)





第1部          屋代敏博氏ワークショップ





新しい!と思った。写真を撮られているのに、撮られていないような、、、



LIVE(生きる)で生まれるArtにふれることができておもしろかった。





現代美術って作家の興味、着目点、感覚、感性とかによってできあがったものと思うんですけど、したがって他人にとっては理解できないものもたまにはあります。社さんの作品も実際体験するまではよくわかりませんでした。だけど、参加することによって作家の意図というものが伝わってきた気がしました。





「回転回LIVE!」でしか感じられないことを感じられたのですごくいい経験になったと思います。





まわると目がまわるとは思いませんでした。ワークショップに参加したのは初めてです。今度は黒い服でない方がいいかも。





貴重な体験ができて面白かったです。





自分が風景の一部になることが新鮮な体験だった。





やっぱり屋代さんは回転の仕方が上手い!初めてワークショップに参加したのですが、楽しかったです。





物体として(回転体として)写真にとられるのは史上初だったので新鮮なキモチです。いままでとられた「自分」というのはただの入れ物なワケで、今日はそこからみなさんハミでちゃったなぁ。と。私たち学生はあぁいったことはしょっちゅうしてますが、今日はインテリな感じのミドルさんたちがはしゃいでいる所も、回転体のチカラなのかなあと思いました。





ぐるぐる回って楽しかった。「自分が絵の具です。」といった屋代さんがかっこよかったです。





とても楽しかったです。緊張したのですが、見ているだけでも自然に笑ってしまって。「好きなことをしているな」と嬉しくなりました。ありがとうございました。



何の先入観もなしに来たので、正直「回ります」といわれたトキは笑っちゃいました、思わず。ただこういった「笑」を生みだせる芸術を教育的にどんどんすすめてくれたらと思います。まず、芸術の楽しさを教えてもらえなければ自分から発するのもムズカシイ事と思いがちなので。



自分がどういう「カタマリ」になっているのか、確認がとれなかったので屋代さんのHPにのったらよく見ます。今日の体験はまだ完結していないカンジです。屋代さんの写真は「セルフポートレイト」なんでしょうか。それとも「空間への侵入」なのでしょうか。



司会の方が高校に風穴があいたという感想を持てたテンションまで参加していてわからなかった。ワークショップとして参加者同志のアイスブレーキングがないまま仮装にいきなり入っていくので、ちょっとテンションがあげられなかった。2時間目に現場に参加して写真を見るという意義がわかり、少し納得できた。高校の実践が話してもらえ少しわかった。



遅れてしまいました、残念。



来れなかったので文化祭(に屋代さんが来ること)超楽しみにしてます!! よろしくお願いします。



不思議な体験だった。像として残るというのは、やはりその人の性格ってでるのだな。どこの場所をキープするかで。その人らしく生きるって、どこでも、わかるのだなと。写真が浮かびあがるまでなんとなく思っていました。



初めての体験で面白かったです。バックグラウンドミュージックなどは使わないほうがいいのでしょうか。また、各人が一人で回る以外の方法も試してみたかったです。



第2部          キュレーターズ・トーク


「ものの見方をどう育てるか」<高校×美術館>の可能性



ピグメント岩波写真文庫(だったかな?昔々のモノクロのうすくてたくさんのシリーズのやつ)あれは美術というより、ルポタージュだった。あのぼやっとしたのはピグメントだと思うけれど、、、そのあたりのあり方はやはり混在か、



わかりやすい解説(キャプション)-最近の新聞(我が家は朝日だったりする。読むところが多いから)が面白くない。やたら「私」が前面に出てきて、どうでもいいことまで書いて読者にひきつけすぎで。でもこの写真についているキャプションは、面白いと受け入れられる。その違いがとても大きいと思う。どのヘンまで、というのは目下の自分の課題でもある。



キュレーターは作品に詞をそえて、映像を見る方向を決めさせる。それぞれの個性的な座標軸で選ばれた作品群にキュレーターの個性が出る。1時間目のポラロイド写真にこの2人がそれぞれどんなキャプションをつけるか伺ってみたい。同時に映像との関わりを各自どう捉えているのか聞いてみたい。藤村さんなら、屋代さんのカメラについてウンチクを傾けたあと、存在の輪とかぼやかすことを語るだろうな。石田さんなら屋代さんのタイツを着て回っているときの眼を写した写真、作家の肖像に対して「コイツはキレを超越している」とか書くだろうな、と創造してみるわけであります。


 それにしてもジーンズをはいているときもタイツを着てるときもテンションがかわらない屋代さんのブレのないアーティスト魂のスジの通り方がすごい。



写真で大切なのはフィルムかデジタルかの技術より何を切りとり、何を伝え、何を見せるかだろう。視てわかるコミュニケーション手段の扱い方が問題だろう。その意味では西オーストラリアのカリキュラム“Viewing”に答えの1つがあるだろう。



作品を介した対話、作品を共に作る対話という話に強く感じ入りました。仕事の映像制作で、最近フィルムコミッション経由で一般の方に出演頂く機会が多く、その人たちにとって、さらに運営サイドにとって何がメリットになるのか考えていたからです。今まで出て頂いた方には「面白かった」「いい記念になった」と言って頂き、それがメリットになっているのかなあと思っていましたが、今日の話を聞いて、それでOKなんだという確信を持つことができました。それが「異世界を知る、感じる、体験する」ということになるんですね。


 最近横浜のフィルムコミッションは協力する作品を映画、テレビドラマに限定するようになってしまいました。ロケ地情報が明示され、観光などのPRになる作品に限るというのがその理由だそうです。ですが、上記のような「新しい体験をする」というような方面でもコミッションの活動を評価してもいいのではないかと感じました。(もちろん作り手の協力者への対応の仕方も考えていかないといけないと思います。)


 個人的な感想で恐縮ですが、とても参考になりました。ありがとうございます。



枠組を作って考えてしまうことってすごく“そん”だなと思いました。広い視野をもって学んでいきたいと思います。


色々な話を聞かせていただいてとても自分のためになったと思います。ものの見方は人それぞれ違ってとても面白いと思います。私は単純なので、そういう見方しかまだできませんが、これからは色々な見方をためしたいです。



写真、絵画とかってぶっちゃけ本当にわからないです。好きなだけで、なんの知識もない人はとても多いと思います。私含め。先日ディズニーアート展へいったところ、私は絵の方に興味があるので3時間かけてじっくり見て回ったのですが、ほとんどの来場者は「すごい」で素通りしていました。実際に美術を感じる機会を自ら設けてもそれではもったいないと思います。「すごい」の1枚奥にある自分だけの感想をつかむ手がかりとして、石田さんのようなキャプションはすごく私達に身近だと思いました。「かっこいい」「すごい」は誰でも思うし、「すごい」から美術館に入るわけで。ですが、知識がないことを自覚している人たちにとっては余計なこと言ってハズしてたらださいなー、恥ズっ!って思って感想となると口をつぐむのではないかと思います。もっと美術館などが、明るく、何でも言えちゃうような雰囲気であったら、きっといろんな人が美術を感じられまくると思いました。難しい説明なんてそれすらわかんないですしね。




いろんな人の意見を聞くことができてよかったです。



もう1度、キュレーター展の写真に会えたので良かったです。藤村さんの選んだ写真には写真と版画の関係、石田さんの選んだ写真では美術かの作品とその人をほかの視線から見た時のギャップの楽しさが感じられました。



アートと言葉、作り手とそれを伝える側の意図が感じとれてとてもよかった。



様々な観点からの意見が聞けて良かったです。写真にも興味があるので楽しかったです。デジタル/アナの議論はとても興味深かったです。(自分が完全にアナログ人間なので)



写真を紹介する側の方々の意見が聞けて面白い機会だった。



わかってはいてもつい忘れがちな学芸員さんたちのお仕事のはなしがきけてよかったです。学生の立場からして、中高での美術に写真の授業がない事を不満に思っていましたし、美術大学に入った時に自分の引き出しの少なさを実感しました。今後も積極的に教育の中に写真をいれてもらえたらと思います。



チョイスの理由よりも、もう各写真の見方をお聞きしたかったです。(最後に質問でお聞きできたのでよかったです。)




その他 全体を通して



フィンランドでは「写真」を授業の中で取り扱っています。



とても貴重な体験をありがとうございました。



学校の先生じゃないので「教える」とかはあまり考えたことないです。



また次回の研究会にも参加したいと思いました。



さまざまな「音楽」をメディアとして読むことについての企画をいつか開催していただけたらと思います。



滅多にできない体験ができて面白かった。こういう機会をまた作ってほしい。



大変参考になりました。



面白いけど、うまくつかめない、だから気になる。というまたしてもkmp.気になるまま終了でした。



メディアリテラシーの教育の中で何を育むことを狙いとしているのか、エッジがぼやけている気がする。メディアに親しむメディアリテラシーのような、、、楽しむ、感じるに主眼をおいているんですネ。できればロジカルにクリティカルに分析するスキルを追及してみてほしい。その辺りをキュレーターに聞いてほしい。



新鮮な体験で楽しかったです。ご本人たちも話されていましたが、1時間目と2時間目のつながりがちょっとみえにくかったような気がします。別々でもいいのかもしれませんが。今後も企画楽しみにしています。



メディアリテラシーの学校 キュレーターズ・トーク

Gakkou38_1 東京都写真美術館で2006624日~717日にかけて開催された「キュレーターズ・チョイス」展で同館キュレーターの藤村里美氏、石田哲朗氏のチョイスした作品が収蔵庫から再び出され、参加者の前に並べられた。ざっくばらんに並べられた20点ほどの作品を目前に2時間目のトークが始まった。









「キュレーターズチョイス」展は、同館の23,000点以上の収蔵品、57,000点以上の図書資料から19人(館長1、キュレーター15、ライブラリアン3)が各人のマイチョイスを披露する企画で、日本では初の試みだった。15人のキュレーターが独自の視点・眼力でチョイスした110点、合計約150点は事前のキュレーター間の調整を行わずに、1つの重複もなかったという。つまり、それだけ私的な感性、こだわりが生かされている。作品につけられるキャプションにもその人の個性が滲み出ている。写真に限らず、従来型の企画展は、有名だから、巨匠だから、人気があるから、といった理由で組まれることが多い。ものを見せる側、見る側のもたれあいである。とくに日本の場合、みんながいいと言っているから見に行く物見遊山者が多い。主催者からすれば、大きなキャンペーンをしないと集客できないというちょっと寂しい状況がある。





今回の企画は「巨匠だから選んだ」といったものの見せ方はひとつもない。もちろん巨匠の作品も多いのだが、「なぜこれが巨匠と呼ばれるのか」といったところの根源的なつぶやき、とまどいからキュレーションが出発していることが提示されている。「ものを***に見るべき」の否定から始まっている。









これは写真なのか?ピグメント印画法の写真と初めて出会った時に、頭の中に浮かんだの  は大きな疑問符だった。



藤村里美氏の今回のキュレーション前口上(「出品リスト」より)





























ピグメント印画法とは、ピクトリアリズム(日本では芸術写真)の作家によって広く利用された技法で、画像のマチエール、明暗のグラデーションを写真家が自由にコントロールすることが可能だった。ゴム印画法、ブロムオイル、カーボン印画などがある。会いヘン表現力のある技法であるにも関わらず、現在日本ではこれらの技法を利用する作家はほとんどいない。技術が伝承されずに廃れてしまった技法なのである。銀塩も同じ運命をたどるのだろうか?



藤村氏は表現内容ではなく、表現方法に着目している。とりわけ、材質、技法といった部分である。白黒あるいは、緑がかったモノクロの写真を見ていると古くて、新しい不思議な印象を覚える。因みにいまどきの感性にはモノクロ写真を見て10人中8人が「モノクロのほうがきれい」なのだそうである。







銀塩は果たしてどうなるのか?アナログーデジタルの話題はいろいろな議論のされ方があるが、1つアナログ派がデジタル派に譲らない部分というのは、暗室で紙という物質に化学反応が起きて像が定着するという魔術的な時間―その場所・その時間でないと写真が生まれてこないというかけがえのなさーへの執着なのではないだろうか。写真の一回性の問題である。(デジカメでなくインスタントカメラがいいという若者も多い)



教育の問題を論じるのに、デジタルかアナログかの技術論ではなく、内容こそが問われるべきだという意見もあった。もっともなことである。しかし、メディア環境が変わればひとの感性も変わることが文明史は教えてくれる。技術・環境が感性をアフォードするということこそメディアリテラシーは教えるべきだと感じる。









僕は彼らに会ったことがなく、写真でしかその姿を知らない。僕の生まれる前に、大人になる前には亡くなっているから。あまりに「巨匠」だから。学芸員という仕事につくのに、影響を受けたと思う。遠い存在を身近に感じたい。とりあえず巨匠だの、アーティストだの、肩書きを取っ払って写真のなかの彼らを見る。このオヤジたちはかなりキテる。僕は彼らから自由や美、新しい価値観を教わった。」



石田哲朗氏の前口上(「出品リスト」より)

藤村氏の見せ方とは対照的に、石田氏はあえてキャプションで見るものを惹きつけるプレゼン方法である。ファンキーで、ポップな語り口で鑑賞者と写真の距離はグッと近くなる。これには会場の学生からは「わが意を得たり」と膝を打ったに違いない。新日曜美術館的な写真鑑賞の然々あるべき枠組みからそう簡単には自由になれない年配者には「あなた、主体的な鑑賞してるの?」と挑発をしてくる。



キャプションが際立つことによって、写真の楽しみが増えると同時に、「解説するとそう見てしまう」「見る人と作品の相互創造に任せるべきだ」という声は当然聞こえてくる。美術館でのディスプレイも含めて、写真表現のバリエーションはまだまだ裾野がひろく、魅力的である。いずれにせよ、さまざまな見せ方、少し視点をズラすだけでこんなにものは違ってみえてくるんだということを写真美術館はどんどん提案してもらいたいし、そんな機運である。「ものの見方を育てる」ための環境づくりの大切さは2人のキュレーターが別々の語り口で語るとおりである。



問題は、われわれの問題意識にひきつければ、学校と美術館の連携である。何も実際に行くという意味ではない。点が線になるコラボのかたちが色々あるはずだ。「いい企画なのに誰も行かない」「全校生徒で団体見学したけど、『静かに』と生活指導に終始した」では困る。











2006_08250085_1

屋代敏博氏の「ものの見方」はやはりユニークだ。屋代氏は自分が回転する前はモノを回転させていたそうである。レコードのターンテーブルに招き猫やらアジの干物やらマヨネーズやら、、、なぜそんなことをしたかといえば、「自分はなぜ物事をこんなに難しく考えるようになってしまったのか」それは「見るものが難しいからだ」、どんなものでも「回転させれば同じ形になる」という流れだそうだ。

少し視点をズラすだけで、ものは違って見えてくることを回転回を通じてわれわれに提示してくれた。







当研究所で今回の「ものの見方をどう育てるか」はずいぶん前から暖めていた企画だったのだが、期せずして「キュレーターズチョイス」展が直前に開催され、藤村・石田両氏から「せっかくだったら作品を見ながら」とひょうたんから駒のような幸運に恵まれた。東京都写真美術館の提示するキュレーション=ものの見方は、マスメディアとして影響力がある。そこから出てきた「キュレーターズチョイス」という発想であることに注目したい。今後さらにキュレーションが重視される時代である。個人で、数百もの音曲や画像を持ち歩く時代だからこそ、また同時に、表象文化が画一化、単純化、ブランド化、カワイイ化する時代だからこそ、美術館だけでなく、学校でも「キュレーション」について深く考えてみたい。





(中山周治)







2006年8月28日月曜日

メディアリテラシーの学校2006夏季講習無事終了しました!

8月最後の土曜日、恵比寿の東京都写真美術館で「メディアリテラシーの学校2006夏季講習」が行われました。中村征夫写真展やルコントの映画に列を作る人々で大賑わいの会場は、我々にとっては初のアウェイ戦です。



今回は「写真」というメディアつながりで、回転する写真家 屋代敏博氏と写美のキュレーター 藤村里美氏 石田哲朗氏のコラボレーションだったのですが、第1部の回転ワークショップと第2部のキュレーターズトークのつながりが見えにくくて、人によって興味のウエイトが違っていることが如実になるという、むしろ面白い討議になったような気がしています。



第2部とその後の討議の模様はまた後ほど報告することにして、まずは第1部の回転回LIVE!!のレポートをお送りいたします。



まず、屋代さんからワークショップについて、ご自身のLIVEビデオを使っての説明を受ける。 Gakkou32_1







そして屋代さんが会場後方を指し示して、「あちらにいろいろな衣装やグッズがありますから、お好きなものを身につけていただいて、自分がどんな絵の具になって風景に溶け込むか考えて下さい」と言ったとたん、全員が動いて、衣装の置いてある大きな作業テーブルを取り囲むのだ。大人はノリがいい!難しい顔をしてサンタの帽子を被って青いマントを体に巻きつけている長身の男性、唐草模様のスカーフでほっかむりをしているうら若き女性、クールな衣装に色とりどりのガムテープを貼りまくって頭からトナカイの角を突き出している素敵なおばさま、笑顔、真剣な顔、笑顔、笑顔。 Gakkou33_1 Gakkou35







その状態のまま、創作室から列になって繰り出し、人でごった返すロビーを抜け、写美のエントランス、あの巨大な写真がずらっと並ぶスロープに点々と並んでいよいよ撮影開始だ。



屋代さんは、写真を撮る、撮られるその雰囲気を大事にしたいということで、敢えてクラシックな箱型のアナログカメラを使う。ものすごく綺麗な機械だ。この場所での回転は12秒間。回転する時間はその場所の光量で決まるのだ。



写美をめざす人々が、「なにこの集団?」という顔で通り過ぎていく。立ち止まる人もいる。笑う人もいる。衣装をつけてる我々は少し見られる快感を感じたりもする。鬼の角付毛糸の帽子が暑く我慢出来なくなる頃、準備完了。模擬回転をさっそく執り行う。まず、出来具合、配置具合を確かめるためにポラロイドを1枚撮る。一度回転回LIVE!!を体験して病み付きになった高校生2人がタイムキーパーをまめまめしく行っている。彼女らの「ヨーイ・・スタート」で一斉に回る老若男女たち。楽しい。「10、11、12 ストップ!」でほーっと脱力する。ポラの現像までの1分間は長い。早く見たい!「1分経ちました!」の声でゆっくりとシールを剥がす屋代さんの周りは人垣だ。「へーっ!」と「ふーん」の間のような声が上がる。その写真を参考にして、自分の立ち位置を動かしてみたり、綺麗な色が出るように作戦を立てたり。そして本番。この作品はしばらく経たないと見られないのがつらく楽しいところだ。2006_08250023













<撮影 小野悦子>



そのまま、場所を屋上に移して撮影をする。5階まで、あの素敵な衣装のまま、普段は入れない領域へと階段をひたすら登る。扉を開けると・・・そこは何の変哲もない屋上だ。これだけ無駄なスペースが手付かずで残されているなんて、ほんと回転回LIVEにとってラッキーなことだ。



閉ざされた空間で、少しだけ空に近くて、回転するのにたっぷりなスペースがある。右側で右回転、左側で左回転を今度は8秒間ずつ執り行う。屋代さんもお手製の回転ボードに乗って、赤い絵の具となって風景に溶け込んでいた。その様子は屋代さんのHPでご覧になれます。 (FILEのところを開いて見て下さい。)



(松田ユリ子)







2006年8月18日金曜日

市民メディア全国交流集会@よこはま06

かながわメディアリテラシー研究所はセッション<表現と活動の場としての市民メディア>に参加します。





タイトル 「高校でメディアリテラシーをどう教えるか」





2006.9.9(土)



時間・場所については8/20頃にアップできると思います。



場所などの詳しい情報については「市民メディア全国交流集会http://siminmedia.jp/でご確認ください。





発表者



第1部 高橋恵美子(神奈川県高校司書) 第2部 鈴木佳光(神奈川県高校教諭) 第3部 中澤邦治(神奈川県高校教諭)



コメンテーター



坂本旬(法政大学・情報教育論)  小山紳一郎(財・神奈川県国際交流協会・情報サービス課)







「高校でメディアリテラシーをどう教えるか」



この発表は3部構成となっています。3人の発表者が映像・画像を交えて高校での実践報告をします。



2人の論客、坂本旬先生・小山紳一郎先生と参加者みなさん、発表者によるディスカッションの時間を設けています



どなたさまも気軽にご参加ください。







第1部 アメリカの情報リテラシー教育



アメリカの授業で、生徒が学校図書館で調べたことを基に社会参加・政治参加

する事例 (ビデオ「Know It All」)を見ます。学校図書館のあり方を比較するだけでも日米の違いは大きいことが分かります。学校が市民メディアとして機能するアメリカの情報リテラシー教育は、日本ではどのような展開が可能なのでしょう?





第2部 CMを用いた授業



CMから見えてくる現代社会とは? 教科「現代社会」の授業でCMを用いた授業の実践報告です。CMを読み解くだけでなく、自分たちの手で作ってみることによって情報の送り手の事情がより理解できるということが実感できます。紙芝居というローテクを使っているところもポイントです。







第3部  高校で映画を撮る



従来の視聴覚教育から大きく一歩踏み込んだ映像教育の実践報告です。生徒と教師で制作した作品「THE通信制高校」(第2回湘南映像祭事務局賞)を見ます。制作に関わった生徒がどう変化したのかという報告を聞きながら、映像教育の可能性を考えてみます。