高橋恵美子さんによる「ブックトークを考える」は予想に違わずとても面白かった。
まず、ブックトークの定義と実践の流れについてのレクチャー。86年の岡山の学校司書のグループによる『ブックトーク入門』以前は、アメリカで行われているブックトークなるものを日本でもやってみませんか?という紹介のされ方のようだ。
1959年、1974年の『学校図書館』にブックトークの実践方法について書いているのはアメリカでの図書館で児童サービスを経験している渡辺茂夫であり、松岡享子であったことに驚く。(そんな古い『学校図書館』バックナンバーが上溝高校図書館に保存されていることにも驚く)
現在、日本のブックトークは岡山理論というか学図研理論というものに理論づけられており、「テーマ性、メッセージ性」がなければならず、「必ず」複数の本でなければならず、単なる「本の紹介」とは違うということが強調されている。しかし、現在アメリカでは、booktalkは、本の紹介も含めて使われる用語だという。
次に高橋さんのブックトークを聞く。テーマは「踊る、ダンス」。 参加者が密かに期待していた高橋さんの踊りは見せてもらえなかったが、ダンサーの書いた本、ヴィジュアル本と小説をバランスよく組み合わせた6冊が語られたのだった。
その後の議論はいい感じに沸騰した。
S:何故アメリカから取り入れたんだろう?
T:1950年代までは日本の図書館は来た人だけを相手にすればいいという感じだった。そこに、アメリカでは図書館員はもっと打って出ているということで紹介されたのかもしれない
R:国語教師としては「本の紹介」と「ブックトーク」を分ける意義がわからない
K:いったい「よいブックトーク」と「悪いブックトーク」ってあるんだろうか?みんなが紹介された本を手に取ることが増えれば「よい」のか?実は違うんじゃないか。みんなが聴いてくれることが目指されているんじゃないか。日本のブックトークは何らかの教養なり知識を伝授する手法なんじゃないの?そうだとすれば半端な教授法なので、「知りたくもないものを詰め込まないでよ」という批判は当然出てくるだろう。そうではなくて、聴いている人が「あんな風に出来たら素敵だ!自分もやってみたい」と思う、そういうものを伝授するものなのか?もしそうなら「読書教育」とは違う。むしろ「スピーチ」の教育か?本には「物神性」があるから、本をメディアとしてなんらかの教養や文化を広める行為 っていう定義の方がぴったりだよ。
S:じゃあ、漫才みたいなブックトークはないの?エンターテインメントっぽいでしょ?
T:アメリカでは対になって紹介し合うということは授業でよくやっているけど・・・
K:12チャンネルのテレビショッピング的ブックトークはありか?
T:とにかく型にうるさいのが日本の特徴。本は必ず見えるように掲げて、テーマに沿って複数の本を紹介するのじゃなければブックトークではないというように。
S:でも、実際生徒に本を選ばせる活動の時は、テーマが先の場合が多いの?本が先なの?
T:やっぱり、テーマが先の場合は少ない。紹介したい本があって、そこから関連の本をどうチョイスするかということで組み立てていくプロセスを司書がアドバイスする。
S:高橋さんは40分のブックトークもするっていうけど、俺だったら、30分もブックトークしたらもったいないと思ってしまう。15分やって、あとの15分を聞き手が行動したり、やりとりする時間にしたいと思ってしまう。何故なら、ブックトークを聴いてると、自分も紹介してみたくなる。とにかくチョイスしたくなる。ブックトークはチョイスの問題だ。選ぶことそれ自体に面白みがある。
J:ブックトークで伝えるものは2つあるよね。1つは「内容」もう1つは「方法」
本の内容を伝えるんだけど、それは例えば大学のゼミでの文献紹介と何が違うんだろう?「内容」だけなら「本の紹介」となんら変わらないし、たとえ1対1でもスリリングな時はある。でも、紹介の仕方、方法自体を伝えているから「ブックトーク」なのかも
「内容の伝え方」ということではまさに「メディアリテラシー」だよね。
言いたい放題が楽しい議論のさなか、敢えてダサい質問を高橋さんに投げかけて見る。
M:結局、高橋さんはブックトークの何が疑問だと思ってこの例会を企画したのか?
T:う~ん。まず、ブックトークはやりたいの。(笑)だけど、例えば、3冊目に山場が来る、明らかに飽きちゃったっていう生徒の存在を意識した場合、それに対して工夫するのか?という疑問がある。
S:俺なんかは、聴衆に任せればいいと思うんだよね。興味のある部分で覚醒するというか、身を乗り出すけど、後は流すでいいんだと思う。それに、テーマってことにもこだわりすぎるのはどうかと思う。今はテーマがウザい時代。なるべくそんなものは無いように振舞う方がクール。時代とともに振れていくものだからまたテーマがかっこいいという時代になるかもしれないけどね。
M:そうすると、今の日本のブックトークの型はもう古い!みたいな感じだよね。「ブックトーク再々考」書いたら?(笑)
公共図書館の司書さん:あまり型とかむずかしく考えないで、今まで興味のなかったものに興味を持てるようになればいいと思う。
M:結構、図書館屋さんは「本と人とを結びつける」ためにって考えてブックトークもやってると思うけど、実は人と人を結びつけるためにブックトークはあるんじゃない?
(文責 松田ユリ子)
例会のまとめ、どうもありがとうございます。
返信削除いったい、わたしは何を疑問に思っているのか、という点が自分でもよくわかっていなかったんだけど、kjのコメント力のすごさというか、指摘でわかったことがあります。
高校のブックトークは、小学校の司書や公共図書館司書で小学校に行く人たちの話のように、話をしたからといって、子どもたちが争うようにその本を借りるなどということはない。(唯一、自分の経験では『悪童日記』だけ)
本の面白さ、魅力は、どこかで何かの形で伝わってはいるらしく、思いがけないときに、あ、あの本だという反応があり、まったく無駄というわけでもなさそうだ。
そう、たぶんひっかっかっていたのは、一方的に話して聞かせる、という方法論にもあったけど、ブックトーク本来の使われ方ではなく、スピーチのサンプル、見本として使われていることにもあったのですね。
今回収穫だったのは、このブックトークという本の紹介の仕方、面白いでしょ?やってみたくならない?という、この方法自体を伝えていることにあるのだ、と確認してもらったということ。いや、自分で言うのもなんだけど、改めて、面白いな、と感じました。
E.T.