1 X教育のY化
情報教育を専門とする辰己丈夫は「X教育のY化」という概念を提唱している.これは,数学教育にコンピュータが導入された「数学教育の情報化」概念を発展させたものである.具体的には,
・音楽教育の情報化”コンピュータを楽器として使う””作曲の道具として使う”などの,音楽教育にコンピュータを取り入れる(音楽教育が目的,情報は手段・道具)
・情報教育の音楽化”楽譜の構造とプログラミングが似ている”などの,コンピュータ教育に音楽を取り入れる(情報教育が目的,音楽は手段・道具)
などが考えられる.
http://www.tt.tuat.ac.jp/index.php?%BE%F0%CA%F3B6%B5%B0%E9%A4%CE%B2%BB%B3%DA%B2%BD
2 社会科教育のメディアリテラシー化
鈴木さんは先行研究などより「メディアリテラシーの育成はそのこと自体を主目的に授業を構成するのではなく、具体的な場面に即して行う必要がある」,つまり,他の科目の中で教えるほかない,という立ち位置に至る.そうだとすれば「鈴木さんの立ち位置」や「α高」「β高の7回以降」は社会科教育のメディアリテラシー化と考えることができる.
そう考えたとき,
・主目的ではないメディアリテラシーを評価する必要があるのか,してもいいのか.
・主目標ではないメディアリテラシーを育てるのは簡単ではない.(目標となってしまうのではないか)
などの疑問点が残る.
3 すべて埋め込めるのか?
鈴木さんは下記のコメントで「メディアリテラシーは高校の社会系教科だけが請け負うものだとはけして思っていない」との立場をとる.
映像の編集・制作はメディアリテラシーで外せない部分であると考えられるが,社会科系科目では扱いにくいだろう.ただし,美術科・情報科ならば扱えないこともない.ではメディアリテラシーの内容のすべてをいずれかの教科で扱えるだろうか.
4 メディアリテラシーの社会科教育化
会の話で出てきた「鉄砲伝来は1543年とされているが,教員が別の年を主張する独自の資料を準備して授業展開する」はここに入るだろう.
β高の2-6回もそうと言えるかもしれない.そしてその結果は出ている.α高よりβ高のほうが「分かっている」ように見える.アンケートのほとんどの項目で「全くそう思う」と「だいたいそう思う」の合計がα高に対してβ高が上回っているからだ.
5 結局メディアリテラシーの定義の違いなのか
ただ,私はα高β高の授業に満足することはできない.メディアリテラシーは「相対主義」「大きな物語の崩壊」「(あまり深くない意味での) 脱構築」などがキモで,一番おもしろいところであると考えている.
しかし,α高β高の教員のインタビューでは
・「価値観の入った情報を注意深く受け取る」(α高質問13)
・「「ちょっと待てよ」と思うこと」(β高質問15)
など,「クリティカルにとらえる」にとどまっている.これはα高β高の教員が生徒の知識が不足している」と判断したからではないだろう.
私は「クリティカルにとらえる」だけならば,各教科の中で扱い,クリティカル科は必要ない,と考える.しかし,高校情報科がコンピュータの使い方の教育ではないのと同様に,メディアリテラシーにはもっと深いものがあると信じている.(yansenmu)
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