原稿用紙の存在感はいまだに侮れないんですね。原稿用紙を埋める快感、埋まらない恐怖は、われわれの共通体験だ。原稿用紙のグリッドのバリエーションって以外に少ないような気がする。あのグリッドを見つめて、精神を集中すると条件反射的に文章が浮かぶように文具業界がわれわれを動機付けているのだろうか? 作文課題の「~字以上」とか「~字以下」というしばりも、原稿用紙あればこそだ。(ちなみにイギリスなんかだと、「~語以上、~語以下」、アメリカだと「~ページ以上、~ページ以下」が一般的だそうだ。)
思えば、小学生の成長は、原稿用紙に作文するという通過儀礼に象徴される。私の妹は、美由樹と薫だが、ノートに書かれた「樹」の字と「薫」の字は巨大に膨れ上がっていた。とにかく画数が多い。これが、卒業のころにはちゃんと升目に収まるのだから小学6年間というのはすごい。(今でもそうですようね?)つづく(中山)
2005年2月2日水曜日
グリッドの誘惑
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