「不安の正体」というタイトルは実に巧妙で、私も買ったときに、不安解消の処方箋を期待した。しかし、四者四様の知性にふれ、「不安」という感情は漠としてその出自が特定できないから不安というのであるという当たり前の事実に気づく。あるいは、「不安」という状態は、「安心、安寧の否定形」(高校時代「~デナイ(deny)と否定する」と覚えた)でしか表せないという事実に気づく。
その蜃気楼のような「不安の正体」を追い求める作業の中でレイヤーが異なればその見え方も違ってくるし、もちろんレイヤーを掘り下げたところで、それはタマネギの皮を剥くような作業であることに気づく。
この気づきこそ、メディアリテラシーの出発点だ。例えば、学校をベースに働くわれわれは、「学校とは何か」を問い続けるしかなく、それを不問に付したところで各自のポジション争い、権力闘争に終始する態度は、もっともメディアリテラシーから遠い。こんなちまちましたことばかりやってると、またアメリカにやられるぞ、と思ったり(これって危険思想?)、そーか、だからアメリカに追従するしかないんだ、と思ったり、でも力持ちのジャイアンは好かれるけど、金持ちのスネオは好かれないよな、と飛躍したり、、、
因みにコモンズは私の造語ではありません。
(中山)
2005年2月11日金曜日
タマネギの中心でナイを叫ぶ
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