2005年2月28日月曜日

アートの同時代性

春一番が吹いた日に、デュシャン展に行ってきた。
横浜美術館らしく、詰め込みすぎない、教育的配慮の行き届いた展示をゆったりと楽しんだ。

やはり、「レディメイド」のシリーズが面白かった。かつては「アート」とは対極と思われていた「便器」や「自転車の車輪」や「帽子掛け」といった何でもない日常の品々を「アート」と名づけて見せるというスリリングさが「レディメイド」の真骨頂だったはずだと思うが、2005年の春に見ると、日常品は「アンティーク」に見えてしまい、その形の優美さそのものに見とれてしまうということが起こるのだった。
現代美術がコンテンポラリーでなくなった時、脳で見るしかなくなるものもあると改めて思った。つまり、かつて提出された意味を一旦学習してから見るというように。

でも、「大ガラス」は皮膚感覚的にとても魅力的な作品だったし、20年かけて制作されたという遺作が生前の作品の真逆を付く装置だったとか、その他のデュシャンにまつわるエピソードの数々は今もビームを放っていると思った。

インスパイアーされた作品の数々が対置されることによって、デュシャンの当時の凄みを際立たせることには成功していて、いい展示だった。
(松ユリ)



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