2005年2月5日土曜日

安全第一

KJプッシュの「不安の正体」で論じられている不安の正体、すなわちセキュリティー不安→監視強化のマッチポンプ構造を学校にひきよせて考えてみたい。いま、生徒の安全を守るための学校と地域、警察の連携がしきりに叫ばれている。いままでも叫ばれていたが、すくなくとも、学校、警察、司法機関の3者はお互いのなわばりを侵さないように「連携」は建前にとどまっていた。お互いの連携のまずさによって、ある種の健全さ、おおらかさを保持していた。さていま、いわゆるポスト福祉社会のいま、問題行動を起こす生徒の個人情報をどの程度まで共有するかが水面下で話し合われている。県は個人情報保護の観点から、必要最小限というが、共有という前提は変わらない。 「安全はすべてに優先する」 建設現場で見かけるこの標語は学校の標語でもある。「すべてに優先する」んだから人権にだって優先する。警察に個人情報を渡すことによって、犯罪捜査の助けになるのなら誰もが反対はしないだろう。犯罪予防のために、学校が情報提供するのだって同じことだと多くのものは考えるだろう。 宮台の言うように①社会のアーキテクチャーの不可視化によって、②リスク社会の不安が醸成し、③近代公共圏をささえる匿名者同士の信頼が崩壊し、④さらなる監視の強化が進む、のであれば、学校も、①カリキュラム、授業展開、使用教室などの流動化により「だれがどこでなにをしているか」を見渡せなくなったため、②問題行動が潜在化したり、不審者が入り込む余地が増えたりして、③「お互い信頼しあおう」だけでは間に合わなくなり「そうは言っても貴重品は常に持ち歩きなさい」と言わざるを得なくなり、④とにかく、立ち番、巡回を強化してくれてな具合で社会の縮図となる。巡回しているときに生徒が掛けてくるが「ご苦労様」は、かつては軽口、ひやかし、皮肉に受け取れたものが今では、ストレートに受け取るべき挨拶となってきたのだろうか?これじゃあ、YOMAWARI先生ならぬOMAWARI先生じゃないか。(深呼吸)学校が考えるべきは、「安全はすべてに優先する」ことを踏まえつつ、いかにして、学校のコモンズ(集団が共有する良識、常識、文化などの無形の財産)を育んでいくか、固持していくかである。変質者、凶悪犯の人口構成比は昔も今も変わらないのだから。
(中山)



1 件のコメント:

  1. 昨日のニュースで受験生が新幹線を止めた話がありましたね。その行為そのものの賛否は分かれているようだけど、そのことよりまず感じたのは、受験生の「勇気」もさることながら、「車掌さんも運転士さんも仕事の出来るチームがたまたま当たったんだなぁ」ということだった。問題を起こさないことを指向するスタッフが大勢を占めていたら、たぶん新幹線は郡山駅に止めてもらえなかったはずだ。

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