2005年2月28日月曜日

アートの同時代性

春一番が吹いた日に、デュシャン展に行ってきた。
横浜美術館らしく、詰め込みすぎない、教育的配慮の行き届いた展示をゆったりと楽しんだ。

やはり、「レディメイド」のシリーズが面白かった。かつては「アート」とは対極と思われていた「便器」や「自転車の車輪」や「帽子掛け」といった何でもない日常の品々を「アート」と名づけて見せるというスリリングさが「レディメイド」の真骨頂だったはずだと思うが、2005年の春に見ると、日常品は「アンティーク」に見えてしまい、その形の優美さそのものに見とれてしまうということが起こるのだった。
現代美術がコンテンポラリーでなくなった時、脳で見るしかなくなるものもあると改めて思った。つまり、かつて提出された意味を一旦学習してから見るというように。

でも、「大ガラス」は皮膚感覚的にとても魅力的な作品だったし、20年かけて制作されたという遺作が生前の作品の真逆を付く装置だったとか、その他のデュシャンにまつわるエピソードの数々は今もビームを放っていると思った。

インスパイアーされた作品の数々が対置されることによって、デュシャンの当時の凄みを際立たせることには成功していて、いい展示だった。
(松ユリ)



2005年2月27日日曜日

地図と美意識

「地図は世界観」(Jimitsu)と桂英史のメディア観をリンクさせてみたい。桂はメルプロジェクトのシンポジウム(2005.2.19)で次のような趣旨の話を語っていた。



自分のメディア論は原理主義的で、「技術」「市場」「美意識」の3つを抜きにしてメディアを語ることは退屈である。
ここでいう「技術」はハイテクのみならず、日常生活にまつわるローテクを含む。「市場」は「交換」つまり、ひと、ものの流通。美意識は日常的なエートスに包括される概念である。
メディアリテラシーに倫理をもちこまないとするスタンスには組みしない。メディアリテラシーは倫理的であるべきだ。



桂のなかば挑発的な発言から、話題が美意識、倫理へと深入りして丁々発止のやりとりに発展するかと思いきや、なんとなく議論が収束してしまって個人的には残念。
しかし、「技術」「市場」「美意識」はインパクトがあった。
この3つのキーワード「技術」「市場」「美意識」を「世界観」と置き換えて地図というメディアにアプローチするのも面白そうだ。



例えば「美意識」。都市づくりのグランドデザインとしての地図を比較してみるとどうだろう。エッフェル塔を中心に放射線状に広がるパリ。同心円状に広がるかつての未来都市ブラジリア。天円地方の考えにもとずいて天に円、地に方形の補助線をひく中国はことのほか、正方のグリッドを愛した。そのイミテーションとしての京都。中世ヨーロッパのTO図はキリスト教の世界観を表すためで実用性はないが、よく見ると自然の部分(大地)はフリーハンドの曲線だが、人為の部分(建物)は幾何学的な直線、曲線を使っている。 グリッド志向がある一方で、イスラムの細密画のようなめくるめく有機体志向の美意識もある。



かつて、ニュージーランドのとある街角ですごく面白い経験をしたことがある。通りの名前は忘れたが、地図に描いてある通りをバイクで進んでいたら、突然の断崖絶壁に出くわした。「そんな馬鹿な?」地図が違うのか、自分の見方が違うのか?土地のひとに尋ねて答えがわかった。



その通りは崖の遥か下でそのまま続いていた。19世紀大英帝国でデザインした都市計画をそのまま南半球の未知の地にあてはめたのでこんなことになったのだ。現地の地形、利便性よりもグラウンドデザインの方が優先していたのである!
(中山)



2005年2月25日金曜日

2月5日国語メディア研究会の報告

遅くなりましたが、2月5日国語メディア研究会の報告。 講師は駒澤女子大教授の宇佐美昇三氏。NHKで番組製作をしていた方です。「映像と言葉はどう違うか」のタイトルで、映像と文字の表現についてのお話でした。内容は基本的なことでしたが、私は初めてこの分野の基礎を学んだ気がして、とても興味深かったです。少しわかりにくいかもしれませんが、以下、講義の内容とメモの中から印象的なものを挙げてみます。 言葉は主語と述語で作られるが、映像は主語と述語がくっついた表現形態である。送り手が映像にこめるメッセージと、受け手が獲得するメッセージ(氏はレッセージと表す)は一致しない。映像は否定形、命令形、抽象名詞や英語の物質名詞を表現しにくい。例えば「水」。→ここでは説明できないので関心がある方は直接質問してください。「絵」とは要素と配置と連結が、各々リアル(写実性)とセミリアルと文字の性質を持つものである。番組(映画等も)作る際には脚本があって映像を作るものと、映像があって物語ができるものがある。コミュニケーションに対して自覚的になることが大切だ。 うーん、少しは雰囲気伝わりますか?次回は3月5日「書ほど楽しいshowはない」です。詳細は別項で。
(jimitsu)



2005年2月22日火曜日

風の地図

佐治晴夫(現、玉川大学学術研究所教授)がかつて教育学部の授業でやっていた「風の地図」を本人の対談集より紹介します。



「、、、二人ペアーで、一人は目を開けて一人は目隠しをして、かなり広いキャンパスのなかを一緒に歩くんです。そこで「風の地図」を作るんですね。目をつむって歩くと、普段感じないものを感じることができて、「風の地図」が書けるんですよ。どこからどんな風が吹いてきて、季節がどうであって、近くを通る電車の音はどう聞こえてきたかと、学生はいろいろ見えないものを感じてくれるんですね。、、、」 (「20世紀の忘れもの」雲母書房)



1/fゆらぎ扇風機の発明者である佐治教授に言わせれば、自然界のあらゆる事象も、自然の一部であるヒトの営みも、ゆらいでいる、のであろう。



風、風に乗ってやってくる香り、音、湿度や気配も刻々とゆらいでいる。一方、それを感受する側の感度も腹が減っていたり、疲れていたり、失恋してたり、とひとそれぞれにゆらいでいる。この授業で学生の描く地図はひとりひとり違ってくるはずだ。(注・佐治教授はもっと理論的に「ゆらぎ」という言葉をつかっている。)
ひょっとして、学生全員の作品を分析すると、共通する部分の割合が1/fだったりして?



因みに、グラフィックデザイナーの杉浦康平は、こうした目隠し地図を「犬地図」と呼ぶそうだ。



「風の地図」のエクササイズは情報の編集過程がつぶさに読み取れて面白そうだと思いませんか。あなただったら、風をどんな直線?曲線?それともそれ以外の方法で?表現しますか?
(中山)



2005年2月20日日曜日

研究所公開企画第1弾

少々先走っているような気もしますが、本日、研究所公開セミナー企画第1弾が決定いたしましたので、お知らせいたします。

日時:2005年4月15日(金)18:30~
場所:相模原市立南新町児童館 
小田急線相模大野駅下車徒歩3分
内容:アニメ「冬の日」を通して見る俳諧の専門家のメディア・リテラシー(仮タイトル)

詳細は、当日のレポーター担当から案内をしてもらう予定です。
とりあえず、手帳に予定を書き込んで下さい。
また、研究所の設立趣意書に同意してくださる方々にも広く参加を募ります。
お問い合わせ等は、ここにコメントを書き込んでいただければと思います。

2005年2月17日木曜日

何を、なぜ、どう教えるか

様々なメディアから、様々な形態で伝えられる、多種多様な情報に対して、主体的にコミュニケーションしてゆくことを生徒たちに考えてほしい。それは、インターネットや携帯電話・テレビなどが身近にあり、情報の受け手であり発信者である彼らに必要なことだと考えます。授業では、生徒が直接触れているメディアを素材として、できるだけ実践的に展開することが大切だろう。などということを考えて、この研究所に参加しています。
(jimitsu)



2005年2月16日水曜日

「書ほど楽しいshowはない」

第30回 国語メディア研究会の案内が届きました。講師は長野県梓川高校教諭 林直哉氏です。メルのプロジェクトリーダーで、長野県メディア・リテラシー研究会事務局長をしていらっしゃるそうです。
 案内文の内容が魅力的なので、そのままご紹介いたします。
 
 この企画は、お習字でも、書写講座でもありません。
上田伸行先生(同志社女子大学)と共同で開発した「書くという表現」の原点を「メディアとしての書」という視点でとらえ直し、意識化するワークショップです。私は、書の特性を「生命の断面」を表出する「命のライブレコーディング」と表現しています。しかし、そこから「文字」をとってしまったら何が伝わるのでしょう。また「書」は、どれほど「言葉」を伝えることができるのでしょう。書くというメディアが、時間(一回性)を一覧性で記録できる魅力、楽しさを、このワークショップを通じて再確認していただければいいなあと願っています。
 このワークショップのあと、携帯メールの特性がきっと実感できます。
 
 序章  手順の説明
 第1章 「書 and tell(自己紹介)」
 第2章 「禁断の章 1本の線で何が伝わるか」
 第3章 「書はライブレコーダー」
 第4章 「パブリッシング」
 ミニ展覧会開催 (リフレクション)

  日時 2005年3月5日(土)午後5時30分~7時30分
  会場 高津市民館・第5会議室 tel044-814-7603
参加費 1,000円
  持参するもの 書道セット(墨汁、筆、下敷き、文鎮)