2012年2月11日土曜日

フレデリック・ワイズマン「基礎訓練」を見る  報告その1




2月例会 13名の参加ありがとうございました!
以下、映画鑑賞後に開いた座談会で出てきた意見を中心に振り返ってみます。

「これを高校生に見せてはたして教材となるのか?」

今回見た「基礎訓練」に限ったことではないが、ワイズマンのドキュメンタリーはテーマやメッセージがあったり、ストーリーラインがはっきりとしているわけではない。因みに、ワイズマンは地震の映画をドキュメンタリーではなく、リアリティーフィクションと定義している。
作品には断片的で、様々なエピソードが散りばめられている。「つかみどころがなく教材にするのには難しいのではないか」という意見があるのと同時に「いろいろなつっこみどころ、アプローチがあって面白い」のだ。
現実の社会も、その中で生きる人間の行動も多様で複雑な様相を呈している、ということをワイズマンは映像で語りかけてくる。つまり、ワイズマンを題材とする授業はワイズマンの映画と同様に、決められたゴールに向かってすすむ授業とはなっていかないだろう。議論の中で様々な話題が射程に入ったり遠のいたり。つまり、そんなフレキシブルな授業であれば、非常に面白い教材になる。(ワイズマン大先生、「教材」扱いして、作品の価値を貶めているわけではないのでご勘弁を。)

「訓練所って学校みたいだ。」

20代の参加者からは「学校と似ているのでびっくりした」という感想が一様にでてきた。「8週間の訓練を終え、最後には管理されているところが怖い」など。
一方、学校で教えている年配組からは、「教官は訓練兵を思っていたほど非人間的な扱いをしていない」「もっと管理的かと思った」「訓練中、笑っていたり、ゆるいところもあった」などの感想があった。学校と軍隊のアナロジーは、日本の近代学校の出自を遡れば、驚くには値しないが、改めてそのことを指摘する若者の意見には耳を傾けたい。この気づきを高校生にも期待できるのであれば、それだけでも高校生に「基礎訓練」を見せる価値はある。「それだけでも」というかそこが分水嶺かもしれない。
入所式での所長の歓迎スピーチでは、「諸君を一人の人間として歓迎する」といっている通り、訓練に適応できずドロップアウトしかけているものにはカウンセリングが施される。入所したては靴の紐の結び方も手取り足取り個々に教えている。一方、「すんなり出所するにはとにかく命令に従うことだ」と言明される。表向きソフトな管理体制を装いつつ、構成員にノーを言わせないような空気を醸成してきたここ十数年の日本の学校には、自らの立ち位置を外から眺める視座が必要である。そういう意味では、ワイズマンの「基礎訓練」は1つの視座を与えてくれる。
「教員こそ、この映画をみてほしい。」自分たちの生業に何らかの気づきを得るはずだ、という意見も出てきました。                



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