2007年6月7日木曜日

研究所企画23弾 6月例会 高校用ML教材を見る

日時 6月22日(金)18:30~



場所 相模原市立新町児童館



小田急線相模大野駅下車徒歩5分 改札左に出てまっすぐ。「相模大野9丁目」信号(アイ眼科前)右折



発表者 中山周治(神奈川県高校教師)



高校での授業用に制作されたDVD教材(約1時間)を視聴し、参加者みなさんで意見交換をしたいと思っています。わかりやすい・面白い・ためになる、そんな教材があればいいなあと思いますが、そもそも「わかりやすさ」「面白さ」「ためになる」ってどういうことなのでしょうか?



2007年5月27日日曜日

5月例会「Know t All 再び」終わりました

KNOW IT ALL の1,4,7巻を高橋先生の解説をききながら見た。英語版字幕なしだったので一部難解?な英訳資料を参考にしつつ見たわけだが、ここでの実践例を日本で展開するとなると、日米の学校教育環境、歴史的な成り立ちがあまりにも違うので難しいと感じた。これは翻訳の難しさとはレベルの違う話しだ。



しかし、それでも KNOW IT ALL で紹介されている実践例は魅力的であり、日本の教育が不問にふしている「何をわたしは知りたいのか」と言う本質的な問いを大切にしている。 例えば1巻で「アートってなんだろう」という問いに主人公の子どもが直面する。この問いを引き出すお膳立てが「芸術祭のために自分の作品を自由に作りなさい」で、、思考錯誤の末、自分がアートだと思う作品を出す。審査員はアートだと認めてくれたが、その見解が正解とは限らない。じゃあ、正解は?



アートとは?教科書に正解がでているわけではない。主人公の体験(美術館を訪問したり、人と話したり)から自分で理解するものなんだ、と。そりゃそうだ、そんなの当たり前だなんだけど、日本の学校教育の場では当たり前ではないですよね。(自戒をこめて)


例えば、映像のプロを養成する学校でも、技術的なところからはいって、つまり自明なアート概念から入っていく(現在の状況)と、いいから時間かけて何か作れつまり、自分は何を撮りたいんだろう?映像の『アートって何?(ひと昔まえ)から入るのではぜんぜん違うわけだ。(齋藤氏談)


映像に限らず、テクニカルな問題に終始して、本質的な問いをしないで済んでしまう教育って問題だ。 だからこそメディアリテラシーも要請されるわけだが、そのメディアリテラシーもテクニカルな問題に終始していないか常に問い質さないといかんのだろうとあらためて思った。(中山)


2007年5月22日火曜日

アニメーションの文化論

メンバーの有吉さんが面白そうな講演会を行います。



是非お出かけ下さい。(その後kmnpasの例会に来るとちょうどです!)



アニメーションの文化論-切り紙アニメからジブリまで-(日本アニメーション映画のひとつの系譜)



日時:2007年5月25日(金)15:00~16:30



会場:神奈川県立川崎図書館2Fホール



講師:有吉 末充氏(京都学園大学助教授)



司会:鈴木良雄氏(神奈川県立図書館)



詳しくはこちらをご覧下さい。



2007年5月16日水曜日

研究所企画第22弾

5月例会



日時:525日(金) 1830



場所:相模原市南新町児童館



   小田急線相模大野駅南口徒歩5



   南口を出て駅を背に直進、3つ目の信号「相模原9丁目」、「アイ眼科」の角を右に入り、左側2軒目です





Know It All’ふたたび





報告者:高橋恵美子





 昨年6月例会で行った「アメリカの情報リテラシー教育 “Know It All”ビデオシリーズを見る」の第2弾です。



 昨年は全13巻のビデオのうち、2巻、5巻、12巻を見ました。インフォメーションリテラシー教育に果たす学校図書館及びスクールライブラリアンの役割の大きさ、学びのスタイルの違い、そしてなんといっても子どもたちが政治活動をする姿を見て、インフォメーションリテラシー教育が、民主主義社会を支える市民を育てる視点があることを、知りました。



 今回は1巻、4巻、7巻を見る予定です。1巻「正しい問いをするには」は、テーマを決める、テーマをしぼり込む方法について、4巻「アイデアを出す」はブレーンストーミングを扱っています。巻のねらいはそうですが、1巻の場合は美術の課題で、地域の美術館へ行きますし、4巻では郷土の歴史、ある古いお家がどうやらアメリカ黒人の逃亡を助けた秘密組織「地下鉄」だったらしいのですが、ということで、地域のお年寄りに話を聞くそんな話になっています。7巻「成果を共有する」は発表です。各国で違うシンデレラについて調べて、さあどうやって発表をつくっていこうか、そういう内容です。



 ビデオは1巻15分、全編英語ですが、今回は日本語訳の訳文を用意しています















2007年4月13日金曜日

地球のなかま映画祭2007 

イベントのお知らせです。



*** 地球のなかま映画祭2007 ***
http://momotomonet.seesaa.net/article/36596228.html



「六ヶ所村ラプソディ」
「ヒバクシャ-世界の終わりに」

上映会&トークショー

日時: 2007年4月14日(土)&2007年5月13日(日)
会場: 文京区立本駒込交流館地下ホール(文京区本駒込3-22-4)
    各回定員200名
参加費:前売り 2日通し券1500円(100名)・1日券1000円
    当日券 1300円(1日分)

第一回:2007年4月14日(土)

 プログラム:
 10:30  開場
 11:00~ 「六ヶ所村ラプソディ」上映
 13:15~ 小出裕章さんミニトーク
 14:00~ 「六ヶ所村ラプソディ」上映
 16:15~ 小出裕章さん講演会
 18:00  終了予定

 午前セッションでも午後セッションでも一日でも講演だけでも映画だ
 けでもOK! この日は六ヶ所村ラプソディの連続上映です。

第二回:2007年5月13日(日)

 プログラム:
 10:30  開場
 11:00~ 「ヒバクシャ-世界の終わりに」上映
 13:30~ 「六ヶ所村ラプソディ」上映
 16:00~ 鎌仲ひとみ監督トークショー
 18:00 終了予定

 午前セッションでも午後セッションでも一日でも講演だけでも映画だ
 けでもOK!

主催:ももんがともだちネット
  地球のなかま映画祭*実行委員会
  ブログ http://momotomonet.seesaa.net/
  メール momotomonet@hotmail.co.jp
  電話(夜間のみ) 070-6648-5699

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2007年3月25日日曜日

境界線は跨ぐ事が出来たのか?

Spring200738 第4回kmnpasイベント報告



3月21日(祝)、久しぶりに春めいた休日の午後、武蔵工業大学環境情報学部のメディアセンター講義室で「メディア・リテラシーの学校」春季講習2007が行われた。



「境界線」をキイワードに、社会学者という覆面レスラー的理論家と対話プロジェクトという超実践家集団とが同じ場で語るという、他ではあまり見られないであろう組み合わせが、もどかしいようでいてもどかしくない、もどかしくないようでいてもどかしいというような面白いものを醸し出した会になった。



1時間目 「境界線を疑うための社会学」 



講師:鈴木弘輝氏



        Soring20073        Spring20072_1     鈴木氏が例示した、現代におけるさまざまな「境界(線)」のうち、「学校の境界」は、改めて文字にしてスクリーンに大写しになるのを見ると、何だか興奮してしまうものがある。



学校に入学できる/できない 授業に出席できる/できない 授業に遅刻した/しない 服装や外見の自由/不自由 などなど。 



この興奮は、この感情は何かと言えば、「学校の中ではこんな境界線が、21世紀の今もまだ(自分が生徒だったときとまったく同様に)在るというのに、しかし、学校の外と内を分ける境界線はものすごく違ったところに引かれてるみたいだ」という気付きから来ている。(たぶん)



かつて高校生がよく言っていた「学校つまんない」という言葉は、今小学2年生が口にしているらしい。それは「学校の境界線」が動揺していることと関わっているのではないかと鈴木氏は言い、ケータイの普及を見るまでもなく、学校が「知識」を独占出来なくなったことは、誰しもが感じているだろうし、私も確かに日々実感しているのだった。だからこそ、「学校の境界線」の引き直しが起こっているはずだ。学校が「境界線を引く」側にではなく、学校が「境界線を引かれる」側にされている という指摘には深く頷かざるを得ない。



「学校は一番遅れたメディアだ」と誰かが発言していたが、学校が様々な場面での規範・制度・社会的前提に「適応」していれば問題なく生活できる と誰もが信じることが出来た時代感たっぷりのメディアであることは間違いない。「適応」だけではもはや現代を生き抜けない。「適応」を強いる状況に対して、その前提とは違う「別の有り様の可能性」を探ろうとする意識、すなわち「適応力」が求められるというのが鈴木氏の指摘だ。



さらには、「適応」と「適応力」の間にある境界線を意識化するだけではなく、どこまでが「適応」の範囲でどこまでが「適応力」の範囲なのかを冷静な理性で(感情的にではなく)見ていくことが必要だということなのだろう。そこにある境界線は常に引き直されるのだ。



2時間目 「手作り生中継!教室で異文化対話」 



講師:小川直美氏


Spring200741 小川さんの話もそこそこに、早速ラオスのヴィエンチャンにある「ラオスのこども」事務局の1階子ども図書室でスタンバイしている面々と、自己紹介からやりとりが始まった。



ラオス側は、予定していたより沢山の5名程が参加。こちらからは3人がラオスと話す。情報の教師と大学院生と、読書教育が話題になるというので司書。参加していた学校司書3人から1人を選ぶためにじゃんけんをする。もっとも、後になるにつれて、質問したい事がある人がどんどん参入したのだったが。



あちらにも日本語の流暢な通訳の方がいて、こちらにも藤野さんというラオス語の流暢な通訳とコーディネーターの「ラオスの子ども」の森さんがいて、万全の体制である。





Spring20078  Skype Video というソフトは素晴らしい。考えていたよりずっとスムーズだ。後で会場から、九州とやる会議とカメラの感じは同じだという意見と、逆に、アメリカとだともっとずっとスムーズで早いが、ラオスのネット状況はどんな感じなのかという質問とが出されていた。どの国ということなのか、どの場所のどの機材という問題なのかはわからなかった。やりとりは、「メディアとこども」「読書とこども」というおおまかなテーマに沿ってQ&A方式で進められた。以下印象に残ったやりとりをメモしてみる。



ラオスQ:日本人は電車の中で本を読んでいるというが、本当ですか?



日本(大学院生)A:え~?読んでるかな~(会場のあちこちから、マンガだよマンガ、ケータイケーイとうるさくアドヴァイスが飛ぶ) あの、そんなに今は本を読んでいる人はいなくて、ケータイをいじってる人が多いです。ケータイでゲームしたり、メールしたり、インターネットに繋いでいます。



ラオスQ:日本の政府が読書についてやっていることはありますか?



日本(司書)A:読書推進法や文字活字法などが最近上から政策として降りてきてはいる。しかし、強制力があるようなものは無い。



日本(教師)Q:今後ろに本が沢山並んでいるが、子どもに一番人気のある本は何ですか?



ラオスA:(画面に本をかざして見せながら)これです!幽霊が出てきて怖い本。



日本(教師)Q:ハリーポッターは人気がありますか?



ラオスA:ラオス語の本は無い。タイ語や英語で読める大きい子は読む。映画はみんなが観ている。



やりとりの最後にラオスから投げかけられた質問は、「ラオスからラオス語がなくなりかけているがどうしたらいいか?」というものだった。タイ語がテレビでも本でも主流なので、タイ語が中心になっているという現実があるのだそうだ。この難しい質問には、指名されて会場から引っ張り出された鈴木弘輝氏が答えた。「ラオスのものがたり、ことわざ、いいつたえなどをみんなが共有できる言葉にして残していくことが大切だと思います。」



ラオスは社会主義国なのでテレビは国営放送しかなく、つまらないから誰も見ない。みんなタイの番組を見てる。という森さんの説明に、えー社会主義国だったの?知らなかったと会場から驚きの声が挙がっていた。



80分程の時間があっという間で、前もって準備してあったつっこんだ質問項目まで進めないまま終わってしまったのは残念だったが、予定調和でないことこそがライブの醍醐味ということだ。



3時間目 討議:「学校の境界線を跨いで~メディアとしての学校を考える~」



Spring200719 Spring200723 まず、対話プロジェクトを体験しての感想を述べ合うところから3時間目はスタートした。テーマは「もどかしさ」だ。



□距離的な遠さは感じなかったが、通訳を介すもどかしさを感じた。



□でも通訳のもどかしさより、ニュアンスが伝わらないもどかしさの方がある。同じ「読書」という言葉を使っていても、多分それが喚起するイメージがラオスと日本では違うんじゃないかと感じた。



□ラオスには本が無いから、読書習慣が無い。変化のスピードが速いから本をすっ飛ばして他のメディアに行ってしまうのではないかという状況がある。



Spring200736 □以前アフガニスタンと対話したとき、「平和」 という言葉の使い方が違って伝わってなかったことがあった。アフガンでは「戦争していない状態」という意味だったのに、日本では「安全」という意味で捉えているというような。



□でも準備して臨まないのがいい。もどかしいことのよさもある。



そして、話題は「学校」というメディアの時代遅れさに移っていった。



□今日おもしろかったのはパブリック・アクセスという経験が出来た事。なんだかおもしろいんだよね。この対話みたいなこと、パブリック・アクセスのジャンクションとして学校が在るということが必要なのかと思った。



□かつて「学校の黄金期」には、学校は地域の人が地域の人じゃなくなるところだった。



□それなら、学校図書館はまさに、学校の中で一番外部と繋がるメディアを持っていて生徒が生徒じゃなくなる場所として機能している。



□司書がカリスマセールスマン的に来る人が自分の事を語る場を提供すれば、学校図書館は情報結束点になれる。



□図書館の理念を教える立場として、ずっと「自立的な人間になって民主主義社会を作るのだ」といい続けてきた。そのスローガンはもはや古いのか?古いのではなく、実現が難しいということなのか?



Spring200737 □そのスローガンは今でも支持されていると思う。ただ、それは最低限のラインだ。これからはその先の問題になる。



□教育再生に社会学者が呼ばれない理由は?また、教育再生のキイワードをどう考えるか?



□社会学者は、いわば後だしジャンケン野郎で人気がない(笑)ヒール役、覆面レスラーだ。状況をモニターするのが役目だから建設的な意見を言わない。だから呼ばれない(笑)  教育再生のキイワードは、「感情の発露」「ホンネを語る」「境界線を疑う」だと考える。



Spring200735_1 □小学校の総合学習を見て、子どもたちが主体的に学ぶとはどういうことかということを研究している。学校にかかわらず、境界を引くものに対しては、日々の実践でもってなし崩しに穴を開けて行く といことしかないんじゃないかと、今日のお話を伺ってますますそう思う。





話し足りないというもどかしさを抱えて、会は予定時間を15分延長して閉会したのだった。



(撮影:小野悦子)



(文責 松田ユリ子)





2007年3月21日水曜日

メディアリテラシーの学校2007明日です!

「メディアリテラシーの学校:2007春季講習」は明日に迫りました。



沢山の方のご来場をお待ちしております。



久しぶりに宮台真司氏のblog  MIYADAIcomを覘いたら、明日の1時間目の講師を務めてくださる鈴木弘輝氏の3月31日のイベントの告知がありましたのでご紹介いたします。



http://www.miyadai.com/index.php?itemid=476