2007年5月27日日曜日

5月例会「Know t All 再び」終わりました

KNOW IT ALL の1,4,7巻を高橋先生の解説をききながら見た。英語版字幕なしだったので一部難解?な英訳資料を参考にしつつ見たわけだが、ここでの実践例を日本で展開するとなると、日米の学校教育環境、歴史的な成り立ちがあまりにも違うので難しいと感じた。これは翻訳の難しさとはレベルの違う話しだ。



しかし、それでも KNOW IT ALL で紹介されている実践例は魅力的であり、日本の教育が不問にふしている「何をわたしは知りたいのか」と言う本質的な問いを大切にしている。 例えば1巻で「アートってなんだろう」という問いに主人公の子どもが直面する。この問いを引き出すお膳立てが「芸術祭のために自分の作品を自由に作りなさい」で、、思考錯誤の末、自分がアートだと思う作品を出す。審査員はアートだと認めてくれたが、その見解が正解とは限らない。じゃあ、正解は?



アートとは?教科書に正解がでているわけではない。主人公の体験(美術館を訪問したり、人と話したり)から自分で理解するものなんだ、と。そりゃそうだ、そんなの当たり前だなんだけど、日本の学校教育の場では当たり前ではないですよね。(自戒をこめて)


例えば、映像のプロを養成する学校でも、技術的なところからはいって、つまり自明なアート概念から入っていく(現在の状況)と、いいから時間かけて何か作れつまり、自分は何を撮りたいんだろう?映像の『アートって何?(ひと昔まえ)から入るのではぜんぜん違うわけだ。(齋藤氏談)


映像に限らず、テクニカルな問題に終始して、本質的な問いをしないで済んでしまう教育って問題だ。 だからこそメディアリテラシーも要請されるわけだが、そのメディアリテラシーもテクニカルな問題に終始していないか常に問い質さないといかんのだろうとあらためて思った。(中山)


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