2007年2月18日日曜日

メディア・リテラシーはカレーライスだ!?

2月例会報告



改めて「メディア・リテラシー」の定義を考えることは難しかった。でも、面白かった。



Kmnpas2b まず、レポーターの鈴木氏が、日本の「メディア・リテラシー」の定義の変遷を辿る。鈴木みどり氏によるマスターマンの「メディアリテラシーの18の原則」の訳出(1995年)にさかのぼること10年ほど前の1986年に、吉田禎介という人物の「映像リテラシー育成を目指したカリキュラム開発」という文献があるという指摘が新鮮だった。「メディア・リテラシー」という言葉を使っていなくても、視聴覚教育の流れの中で似たような議論があったということなのだろう。



その後、現時点で鈴木氏の考える「メディア・リテラシー」の定義が示された。



「市民がメディアに媒介された情報を、送り手によって構成されたものとして批判的に受容し、解釈すると同時に、自らの思想や意見、感じていることなどをメディアによって構成的に表現し、コミュニケーションの回路を生み出していくという、複合的な能力」



それをたたき台に、参加者それぞれの考える定義と、その根拠を述べながら、議論を行った。以下エッセンスだけしかお伝え出来ないのが残念な熱い議論だった。



T:総務省の定義にせよ、コミュニケーションで終わるということがいつも疑問だ。何か、社会を変えていくという視点が欠けていないかと思ってしまう。



S:前提として、メディア・リテラシーの目指すこと(水越伸の言う「射程」という言い方でもいい)が「市民社会に主体的に参画し、民主主義を強化すること」に置いているから、コミュニケーションで終わっていいと考えているわけではない。



リテラシーの概念の下位概念としてメディア・リテラシーやその他の○○リテラシーを考える人が居るが、自分はそうではないと思う。いわゆるリテラシーと、メディア・リテラシーの違いはこの「コミュニケーション」が定義の中に入っているかいないかにあるような気がしている。



Kmnpas2d  KJ:自分は水越伸の定義派だ(笑)2002年の定義に「感情を伝える」という一文が入っているが、このことに触れた定義を他に知らないからだ。そして、メディア・リテラシーはツールではなくて、「営みである」と言っていることが重要だ。何か「ずしり」と来るものがメディア・リテラシーにはあるはずで、う~んでもその「ずしり」とくるものを上手く言い表せない~



SUZY:より原理的なものなんじゃないか。つまり、メディアがあるからコミュニケーションがあるんじゃなくて、コミュニケーションがあるからメディアがあるというような。



Kmnpas2a_1A:その場合のメディアは身体も含んでいるということだよね。



Ma:「メディア・リテラシー」概念の錯綜は、①「メディア」概念をどうとらえるか②「リテラシー」概念をどうとらえるか③「メディアを批判的に読み解き」という場合の「批判」概念をどうとらえるかという3つの、それぞれが複雑な内容を孕んでいる要素の絡み合いが原因ではないかと思う。その上、「技術」「情報」「メディア」それぞれのフェーズで沢山の定義が定まらない○○リテラシーが存在している。



S:自分は、社会科の授業でどうするかという論文を書こうとしている。だから、メディア・リテラシー概念や構成要素の一部を切り取って授業という枠に当てはめるにはどうしたらいいかと考えている。ただ、それがメディア・リテラシーなんだということではなくて、その先にある広がりに通じる回路は残さなくてはいけないと思う。



Mi:自分なりの考えをまとめるために、LibraryNAVIの形でレジュメをつくってみた。題して「メディア・リテラシーはカレーライスだ―!」Imgp2560 。自分は「自分のメッセージを伝えること」がメディア・リテラシーだと思ったのでLibraryNAVIを作ることそのものが「メディア・リテラシー」の「営み」だと考えている。



見出しは「情報」「メディア」「選ぶ」「加工する」「発信する」。それぞれ、カレーライスの材料集めから食べるまでの各段階にメディア・リテラシーの活動を対比させている。裏面に「メディアを正しく使って、豊かな社会をつくるための コミュニケーションをしよう!」と書いた。 



Imgp2561 SUZY:腹が減ってくる。カレーが食べたくなるね。



A:「発信する」の後に「評価」がないとね。自己評価でもいい。食べてどうだったかがないと。



Ma:☆3つです!とかね(笑)



T:これ、むしろ「情報リテラシー」のナビだと思う。



A:どちらかといえば機能的リテラシーを扱っているという点でね。



Mi:今日の議論を踏まえて作り直しま~す。3月に「メディア・リテラシーの授業やってくれない?」と頼まれているのでそれまでにはなんとか。



KJ:自分は、実際に「メディア・リテラシー」という科目をやるためのシラバスを持ってきた。学校でやる場合にはどうしても「機能的リテラシー」部分が8割になって仕方ないと思う。「批判的リテラシー」は難しい。



Ma:授業で機能的な部分を5割やって、あとの5割は図書館で批判的な部分をやるっていうのはいい考えじゃない?



SUZY:なんか、「民主主義」を強化することに中ににもネガティブな側面がある感じが拭えない。メディア・リテラシーの射程は民主主義をコントロールする英知を身につけることにすべきじゃないか。



Kmnpas2e  Sa:映像を仕事にしている立場から言うと、スキルはすぐ出来るようになる。むしろイデオロギーや批評のさじ加減が重要になってくるから、その辺を学校で学ぶ方がいいと思う。



O:情報の教員の立場からも、情報の入試をすべきだといいうような議論があるが、それは止めて欲しいと思う。スキルではない部分を学校でやる方向に持っていきたいが、そういう考えの情報の教員は少数派だ。



その他、映像、YouTube、本、出版、著作権から柳田国男まで議論は広がり、毎度ながらなかなか閉会にならない例会となったのだった。



(文責 松田ユリ子)









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