報告会は、2007年2月23日(金)千代田区紀尾井町の民放連地下一階の文春ホールでおこなわれました。
午後1時から5時半までの長丁場でした。参加者は主催者も驚くほどの賑わいで、200名ほどは集まったでしょうか。テレビ局の関係者をはじめ、市民メディアの関係者、大学関係者や高校などの現場の先生などだと思います。私も知っている顔を何人も見かけました。わが研究所からは他にS氏も参加しました。
報告者は2006実践プロジェクトを実施した3つの放送局でした。青森放送、中国放送、テレビ長崎の3局。公募で選ばれたのですが、その条件は3つ。①中学・高校生がテレビ番組作りを通してリテラシーを学ぶ、②『メディアリテラシーの道具箱』を活用する、③子どもたちの制作した番組を放送するというもの。
この条件に適った3つの放送局の実践報告でした。当然中学・高校生が作った作品も上映されました。その全体のプロジェクトをサポートするのはメル・プロジェクトの水越伸東大助教授と駒谷真美昭和女子大学専任講師、そして民放連の民放委員からなる実践プロジェクトチームでした。そこで、この3つの放送局の報告の後におふたりの先生からこのプロジェクトの成果と意味・展望のお話がありました。大変に内容の濃い会でした。
はじめに青森放送のプロジェクトについて山内千代子さん(アナウンサーの方)から説明がありました。8月から12月までの長期のプロジェクトで3つの高校の3チームによりテレビ番組を作ってもらうプロジェクトでした。結婚式の裏方さんの仕事をテーマにしたものや野球部のマネージャーをテーマにした作品、そしてあるバンドのプロモーションビデオ的な作品(左の写真)などがつくられました。その製作過程にははじめに大学生の協力を得てワークショップを行い、プロのカメラワークなどの指導も受けるなど教育プロセスを十分配慮したプロジェクトとなっていました。
次の中国放送のものは指導者が平均年齢60歳という放送関係OB主体のプロジェクトでありました。発表された代表の三宅さんが中国放送の取締役であるだけあって、広島市教育委員会の後援を取り付けたりして、今後の活動につながる持続的なインフラの整備をあっという間にしてしまう手腕を水越氏は高く評価していました。生徒の作品は4本あり内容はともあれ、それぞれに生徒が自由な発想で作品をつくっていたのが印象的でした。
最後のテレビ長崎は短期間(5日間)で番組作品をつくるというものでした。発表は増田さん。業務を担当する男性でした。夏休みの8月初旬に集まった中学・高校生は数グループに分けられ、水越氏のアドバイスで中高一緒、男女も分けないでチームがつくられました。作品の良し悪しでなく、作品をつくる過程がメディアリテラシーの学びなのだという考えに基づいています。たしかに生徒たちはアポなしでいきなり取材先に訪れ、取材を断られたり、話し合いがまとまらずリーダーがトイレに1時間も雲隠れしてしまうなどさまざまな苦難や事件を乗り越え番組を作っていきました。そしてその過程を放送局の人たちや大学生が暖かく見守っていくところに長崎の懐の深さを感じたりもしました。
さて3つのプロジェクトに共通して言えることは、地域との密接な関係を大事しているということです。特に地元の大学の協力なしには本プロジェクトを実施することはできなかったのではないでしょうか。テレビ長崎は長崎シーボルト大学、中国放送は広島経済大学、そして青森放送は弘前大学です。これはメディアリテラシーが単に放送局だけで行うとか学校だけで行うものでなく、もっと開かれたものであり、大学、小中高とも密接に連携して行う地域密着的かつ横断的なコミュニケーションがなくてはならないということを示唆するものです。
水越伸助教授の講話 ―漢方的な、循環的な―
最後に水越伸東京大学情報環助教授から実践プロジェクトの意味と今後の展望について講話がありました。水越さんという人はノーネクタイで襟もとにスカーフを巻いている。ジーンズでおしゃれに気を配る方です。話も知的で、遊びの感覚や楽しさ、面白さが随所に感じられます。批判性と遊びをあわせ持つ、新しい時代を代表する学者です。
何しろ、彼の話は今年のプロジェクトの反省・今後をまとめることでしたが、講話の副題がなんと「漢方的な、循環的な」です。知的に遊んでいるのですが、マス・メディアに携わる人々が、どうしてメディアリテラシーを真剣に実践していくべきかの本質を提起しているのです。
マスメディアが生産・伝播した情報を人々は見る、読む、消費しますが、その情報の受容においてその情報が正しいか、操作されていないかなどの問題を批判的に読み解くというメディアリテラシーの概念が出来てきました。(例えばイギリスでアメリカのヤンキー文化を排除するために機能した)それは50年代から90年年代マスコミの発達とともにでした。しかしいまや情報化の進展とともにコンピュータという新たなメディアが登場しました。ケータイでムービーが撮れるまでになってきましたし、動画投稿サイトのYou Tubeでは自分が作った映像を世界に配信できるようになりました。誰でもが表現者になっているのです。しかし、メディアについてのきちんとした素養がないため、中途半端にしか表現できず、その実情はぐちゃぐちゃでしかない。とてもパブリックアクセスと言える状況にないのです。
そうした現状を踏まえ、もう一度情報の循環を考えてみますと、情報の循環は生産と消費の過程で終わらない。捨てるという行為(information garbage)につながり、さらにそこから表現という行為に行きそこからまたマスメディアによって生産・伝播されていくのです。旧来のメディアリテラシーは受け手が情報をどう批判的に読み解くか?だけでしたが、新しいメディアリテラシー概念は、情報を作る→見て、読んで、消費する→捨てる→表現する→マスメディアが情報を作るの循環を学ぶということです。中国風に言いますと、新世紀媒体素養(=メディアリテラシー)と言うことです。したがって私たちの学びはそのサイクルを理解することであり、情報の受け手として批判的ではあるがただ受身に読み解くだけではなしに、情報の発信者として表現も出来きるが理屈も言える、そういう学生を育成することが今日の課題なのです。
とまあ、こんなカンジで始まった水越氏の話は3つのプロジェクトの個々び評価を順次行い(省略します)、昨年度のもあわせて本プロジェクトを実施した放送局への課題として繰り返すことの重要性、らせん的向上をあげました。
さらに放送局一般に対しては①送り手も学ぶメディアリテラシー②番組づくり以外の多元的な展開③MLをエンジンにした市民参加型放送局へ④地域循環型社会の創出をあげました。②の番組づくり以外の多元的な展開というのは高校の生徒・先生に絵コンテを書く講習会とかカメラ撮影の講習会を催すことなどを例示して、今回のプロジェクトだけで終わらずに地域的な連携を続けていくことを強調されていました。
さて、このプロジェクトにおける民放連への課題としては①企画検討、コーディネーション体制の充実②ラジオ局への期待③特効薬ではなく漢方薬の重視を。もっとお金を。とまとめました。とくに長い目で行っていくプロジェクトですので、もうすこし資金を出していただきたいと懇願しますと、会場もそこここから笑いが起こるのでした。
最後に、これがもっとも重要なことがらなのですが、研究者(=僕)側の課題つまり水越伸氏自身の課題です。(こういう項目の立て方も彼ならではです。)
①ポストメルプロジェクトの始動②4月からホームページの開設―全国の放送局と市民を結ぶ広場づくり ―型紙ダウンロード方式!③技術プラットフォームの研究開発―市民のメディア表現を支援する技術的文化的プログラムづくり―スタートしたexprimo!
ということです。
型紙ダウンロード方式というのがまず分らない。そしてexprimoはもっと分らない。けれど、このシステムは全体俯瞰できるmixyであり、コミュニティー型のYou Tubeであるらしいのです。水越氏自身は「僕は文系の人間ですが、研究室に理系の学生も入ってもらって、メディアリテレイトされた人が参加していく…」と語り、ポストメルプロジェクトの新たな展開が今後このexprimoによってらせん状的に向上していくことを明るく語って締めくくられていました。以上で報告を終わります。(中澤)
長かったですが、退屈せずとても興味深く聴けました。民放局がメディアリテラシーに積極的にかかわっていることを知るとてもよい機会でした
返信削除テレビ局はもっとお高くとまったもっと上から冷たく下を見ているのでは?スポンサーのことばかり気にかけているのかな、なんて思っていました。報告を聞いてこのプロジェクトに参加した生徒がとてもうらやましく思いました。生徒が番組(作品)をつくることで、作り手の立場に立ってテレビ放送をとらえることができると思いました。その学びはきっと撮影や編集のテクニックを学んだのではなくて、自分たちがひとに伝えたメッセージを自分らの内面から抉り出しそれを人に伝えること、その難しさや楽しさ、そして伝わった時に初めて感じられる喜びを学ぶのだと思います。3つのプロジェクトを見て、それぞれのチームが作る作品を通じて伝えたいこと(=メッセージ)は制作過程でだんだんと鮮明になっていく様子がわかります。チーム内の話し合いが一人ひとりの考えをより深くしていき、伝えていメッセージが明確化していくのです。そこにはすばらしい学びと気づきがありました。
面白かったのはこのプロジェクトでたしか青森放送の方がプロの側も高校生に教えることで逆に教わることが多々あったというコメントでした。(津軽弁で自分には理解しづらいところもあったのですが)そして大学生や大学の協力がこのプロジェクトを成功に導いていると思いました。(大学生も高校生を教えたくてうずうずしている)
テレビというものははニュースを伝えたり、歌や打ラマやクイズなど楽しみをお茶の間に提供する媒体だが、テレビに対して受身でいるのではなしに、放送制作者の助けを借りてその制作過程を子供たちが主体的に学ぶ(テレビをつくる)ことで、テレビそのものが、情報伝達媒体としてだけでなく、生徒の生きた学びの媒体になってくると思いました。テレビという媒体が私たちの身体のように、その身体の延長として私たちの社会的メッセージを発する道具として働いていると思いました。つまり、この送り手(作り手)と受け手の立場が変わった学びの循環は、人にものを伝えるこという社会的な行為や自分を他人に表現することの力をつけるきっかけを与えるものとして意義のあるものだと思います。
民放連はこれからもこのメディアリテラシー実践プロジェクトを積極的に展開してくれると期待しています。