第8回例会は、初参加の方が2人もいらして下さって楽しかったです。
第1部は、「カンブリアンゲーム」をした。「キャラクター」というものについて議論のよすがになるような展開を目論んでいたのだったが、仕掛け人にしてからがルールを逸脱してばかりいるという体たらくで、まったく思わない方向に「爆発」出来たのでは?と思う。よかった、よかった。
出来上がりはこんな感じです。
出来上がった爆発を眺めながら、ああだこうだ言うのがまた楽しかった。
今回の「思わぬ関連付け」の第1位はこの三日月→セーラー服→船→靴の部分ということになったのだが、10日くらい経ってから改めて見ると、なぜここがこんなにおもしろかったのかと思ってしまう。
「カンブリアンゲーム」はまったくもって一期一会なゲームだと思う。その場で爆発的に発生する連関の空気は、その場だけのものだ。意味を脱構築する体験だと誰かが言った。
ああだこうだ おしゃべりが楽しくて予定の1時間はとうに過ぎていた。
第2部で、「メディアとしてのキャラクター」についてネタを提供した。
【2年女子生徒との会話】
-キャラクターとキャラって違うと思う?
S「違うと思う!」
S「違いはよっくわからないけど、これは明らかにキャラだよね」
と言って、『ケロロ軍曹』(吉崎観音 角川書店)を本棚から取り出す。
-『NANA』(矢沢あい 集英社)はじゃあ、キャラクター?
しばらく考えて、
S「うーん・・・どっちともいえない」
-じゃあ、ポケモンは?
S「それはキャラ!」
S「キャラはこの(マンガの本の)中にだけ居るもの。キャラクターはリアル世界にもいそうなもの かな?」
という前ふりで、レジュメの項目のみ書いておく。
1.マンガ
□「キャラクター」characterをめぐる各論
□「キャラ」Kyaraをめぐる各論
2.斎藤環の「キャラ文化論」日本的キャラVS欧米的キャラクター
3.キャラクター商品
□ビックリマンチョコレート以前
□1987年 ビックリマンチョコレート
□ 90年不況以降
4 「スーパーフラット」
この「スーパーフラット」という概念をめぐっての議論はとても面白かった。「スーパーフラット」なんて考えを広めるのは危険だ!という発言に自分の思考停止ぶりを気付かされたが、このことはもう少し議論していきたい話題だ。
【参考文献】
赤塚不二夫 改め 山田一郎 改め 赤塚不二夫 『アカツカNo1 赤塚不二夫の爆笑狂時代』イースト・プレス 2001
東浩紀 『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社現代新書 2001
伊藤剛 『テヅカ イズ デッド -ひらかれたマンガ表現論へ-』NTT出版 2005
大塚英志 『「おたく」の精神史 1980年代論』講談社現代新書 2004
大塚英志 『キャラクター小説の作り方』講談社現代新書 2003
大塚英志 『戦後まんがの表現空間 記号的身体の呪縛』法蔵館1994
北見けんいち 「おそ松くんからパパへの変身?」『赤塚不二夫傑作選1 全員集合でオールスターなのだ!!』光文社文庫 2003
斎藤環 『若者のすべて ひきこもり系VS自分探し系』PHP 2001
斎藤環 『文脈病』青土社 2001
武井俊樹 『赤塚不二夫のことをかいたのだ!!』文藝春秋 2005
永江朗 『平らな時代 おたくな日本のスーパーフラット』原書房 2003
バンダイキャラクター研究所 http://www.chara-labo.com/
宮本大人「漫画においてキャラクターが『立つ』とはどういうことか」『日本児童文学』日本児童文学者協会 第49巻第2号 2003
(松田ユリ子)
カンブリアンゲームは大変に面白かったです。会合が終わってから翌日静かに反省していて、気づいたこと。まちがっているかもしれないけど、ホワイトボードを座標系のように中央部から4つに仕切ると(右上・左上・左下・右下)kjが気づいたのは、まず右上には象徴的方向性が読み取れ、左上には、H的なものが読みとれ、左下にはメルヘン的なものがよみとれ、右下には退行(幼児的なもの)が読み取れるのではないかという分析です。右下と右上の中間に例の月→セーラー服→船→靴の連想がある。どうでしょうか?やっぱ位置が関係してると思いますが。だからなんだ、とういう訳ではないのですが。以上
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