2006年6月25日日曜日

6月例会報告

アメリカの情報リテラシー教育"know it All"ビデオシリーズを見る



発表者は、神奈川司書界のGodmother、失礼、女神(?)高橋恵美子女史である。氏は某私立大の講師も勤めておられ、アメリカの学校図書館とそこで成される教育について造詣が深い。



今回は"know it All"ビデオシリーズ全13巻の中から、次の3本を順に見ていった。



    第12巻 協働して教える:探索の段階で



    第2巻 何をするかを知る



    第5巻 他の言葉で言う



 このビデオは、インフォメーションパワー(アメリカの学校図書館の基準であり、情報リテラシー教育の基準)を、実際に小・中学校の授業の場で生かすために作られたものだそうだ。



 視る側は、まず12巻から驚かされる。日本の小・中・高校の図書館ではほぼ許されない行為、例えば踊る生徒、座椅子に座る生徒、飲み物片手に議論する教師達が登場する。何の為に踊っているのか・・・・それは、図書室が発表の場であり、展示会場でもあるからなのだ。



 図書館での授業風景というと、日本でも普段の教室での黒板を向いたスタイルとは変わるものになるが、アメリカでは、百科事典類の資料と同様に、コンピューターが身近に置かれている点に特に違いを感じた。このビデオ、8年前の制作である。今の公立高校でもPCが置かれるようにはなったとは言え、数台のお粗末さ。それに比べると、さすがアメリカである。



 さらに、日本とは随分違うなーと思ったのが、教師以外のスタッフの多さである。実際、教師らしき人の見当はつくが、誰がスクールライブラリアンか、誰が親のボランティアなのか見分けられない。



 2巻と5巻は、仲良し女の子二人組と、男の子二人組を主人公にドラマ仕立ての構成。2巻は、授業で発表することになった女の子二人組が、「rubric」という手順をもとに、スクールライブラリアンの援助を受けて、よりよい発表を完成させるお話。5巻は、自転車道の移転を阻止しようと、男の子二人組が試行錯誤する過程で、よりよいスピーチの方法を学ぶというお話。どちらも、最近の学習指導要領で強調される「聞く・話す」力や、総合学習の発表を先取りしている感があって面白かった。



 出席者のコメントは、一気に総合学習における発表のありかたに集中した。米国では、小学生から毎週「show&tell」でスピーチ力を鍛えられるから、こんなことが出来るのではと言う意見、日本では、発表が主であるにも関わらず、テーマ決めに終始してしまいがちと言う意見、もともと聞く文化が育っていないのではと言う意見・・・。



 そして、何故、日本の高校生は自己表現できないのか?という問いかけに発展した。



 ここでゲストの五嶋先生(東海大学)から、「今、東海大学では、『読み、書き、調べ、スピーチ、発表、プレゼンテーション』の流れを常に重視しています」との言。氏はT学園中・高校の教師でもあり、 ひとりずつ書かせた絵コンテをグループに戻し、そのグループからひとりの作品に絞り、映像化を図るという実践で、空気を読む(!)生徒達を揺さぶっているそうだ。



 図書館は静かに調べ物をする場所でもあろう。しかし、調べ方がわからない、発表のしかたがわからないという段階にいる人々には、「rubric」のような手順が必要だと感じた。日本にはこういう思想がない。少なくとも、国語教育の中で、こういう視点で作られた評価基準はない。



 アメリカの学校図書館は、「学校の心臓」として、校内でもっともロケーションがよい場所にあるという。これだけでも日本とはかなり違った性格付けをされている。



 今、教育界はおかしなことになっているが、この停滞に風穴を空けるには、元気な司書を中心に、各教科の教師たちや多くの大人を巻き込んで、柔軟な学びの場として、図書館が機能していくことにあるのだろう。 



 高橋さん、発表お疲れ様でした。東海大の五嶋先生、ゼミ生の三重堀さんありがとうございました。  



                                            文責:遠藤智子



 



3 件のコメント:

  1. この報告文を読みまして、たしかに日本の教育が知識注入型に偏ってしまっている。果たして総合的な学習の時間が導入されてそれは変わってきているのだろうか?どうか考えると、まだまだなのだろうなと感じました。ビデオを見た一人として大いに考えさせられる発表でした。結局学校は社会の縮図ですかね。(by kj)

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  2. 高橋恵美子2006年6月25日 19:32

    報告、コンパクトにまとめてくださって、ありがとうございます。今までこのビデオは、司書の集まり、あるいは大学教員の集まりで見ることが多くて、現場の先生がどう見るかということ、とても興味がありました。自己表現の話、コラボレートできる教師とできない教師、評価についての意見のやりとり、面白かったです。神の目、ユニバーサルスタンダード?としての評価?つい時間を気にして、終わってしまいましたが、今気になるのはそこです。松田さんの、同じ先生の対象的な発表授業の話も、印象に残っています。

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  3. 昨日、大学の司書教諭課程の授業での学生のプレゼンがとても面白かった。90分に6人という時間設定の中で、ここまで学校図書館の講義を受けてきて気になったキイワードについて各自事例研究をしたものについて発表をするというものだ。キイワード、つまりテーマ設定が「図書館行事」「学校司書」「学校図書館ボランティア」など、割と私が使ったキイワードから選んでくる学生が大半な中で、昨日は「学校図書館とコミュニケーション」というプレゼンが「出現」した。完全オリジナルな、「司書教諭」「教科教諭」「生徒」間のコミュニケーション不全のモデル図と、コミュニケーション良好のモデル図を板書してのプレゼンは18分越で2時間目に食い込んだ。教室の空気は、「なんでこんなに力込めてやってんの?」という一部の学生の引いた気分を完全に凌駕したのだった。
    高橋さんが一つ上のコメントで言及している高校でのプレゼン授業の話も、「空気」を読んだ生徒が、プレゼンを精一杯やると他のみんなにむしろバカにされそうなことになるのを回避しようとして「わざと」やる気のないプレゼンを連発することについてに議論だった。同じ教師の別の授業では真剣なプレゼンの連発だったにも関わらず、何故そういうことが起こるのか?という疑問に対して、「それは信頼関係がないからだ。信頼関係の無いところでのプレゼン授業は害でしかない。すぐやめないと生徒をダメにしてしまう」というKJのコメントは痛烈だった。
    「信頼関係は自然に生まれない。努力して作ったり、築いたりするものだ。」ということも、“know it all”ビデオが発信している大切なメッセージの一つだと思う。

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