2005年10月31日月曜日

10月例会(11.2)のレジュメ

11月2日(火)南新町児童館で6:30より開催される 10月例会 のレジュメを事前にアップしました。
こんな内容でディスカッションしたいと思いますので、興味のある方はお集まりください。
 また当日、高校国語科の「国語表現」を念頭に入れた、エクソサイズを下のようにしたいと思っています。
課題: 「私とメディアリテラシー」という作文を400字以内で書いてきてください。」 
 当日にそれを90秒以内にアナウンサーのように読みます。又は主語を変えて即興で私が読みます。
ねらい:音声言語と文字言語の相互変換。書く→話す→伝える。  よろしくお願いいたします。 
このあと私の参考例をアップしたいと思います。
ではお待ちしています。

  
 Kmnpas  〔かながわメディアリテラシー研究所2005〕  10月例会レジュメ (11.2@南新町児童館)   Kmnpas
                  
テーマ  「学習指導要領」におけるメディアリテラシーの位置づけ」

1 はじめに
・メディリアリテラシーとはどのような科目か?
・そのねらいは何か?
・各国のメディアリテラシー事情はどのようなものか?   -アメリカ・イギリス・カナダー
     文化的植民地からの解放・独立、多民族・多言語国家の問題解決、メディア大国への対抗、大衆文化への批判
・「メディアリテラシー」についての日本でのイメージはどのようなものか?

2 学習指導要領の中に不在として位置づくメディアリテラシー
・学習指導要領の中にメディアリテラシーが不在であるのは意図的か?  a.意図的である。 b.意図的でない
 → そもそも学習指導要領では
  「メディア」という概念についてのトータルな把握と理解が欠如している。

・日本の初等・中等教育にメディアリテラシーが定着しない理由
①教育行政サイドのカナダ流「メディアリテラシー」に対するイデオロギッシュな嫌悪感・反発
②教科「情報」の新設により、「メディアリテラシー」が情報(コンピュータ)教育へすり替え/移行されていった歴 史的背景(おそらく産業界の要請&国民教育の性〔さが〕、つまり心身ともに健康で産業社会になじむ人づくりで あって、自律した個人の確立をめざす人づくりではない。)
③「情報科はコンピュータ操作教育でしかない」とする内外の批判に対して、文部科学省は「コンピュータは教科 学習で確かな学力を分かりやすく教えるための教育機器である」とするミレニアム・プロジェクト{全教室にパソコ ン2台&インターネット接続可能}実施により論点をすり替えている。
④映像メディア(言語メディアを従来も今も国語科が教えるのに対して)の軽視。映像メディアを分析的に教える教科・科目がなくていいのか?という疑問に教育行政サイドは答えない。みな道徳教育で解決していこうとする。
⑤文学偏重の国語科教育から生きる力・伝え合う力の育成をめざす転換の試みはいいもののそのような国語科教育の方法論の貧困と現場教師の戸惑い(「メディアのリテラシー」と「メディア・リテラシー」の間にあるもの)

3 今後の展開予測(kjの予測)
・総合的な学習の時間は縮小傾向で見直され、その内容も教科学習や特別活動等に振り向けられ、教科学習主体のカリキュラムに再編成されていく。ゆとり教育の方針は変わりないものの、「確かな学力」をつけるためであ る。したがって総合学習で現在実施されていたら、メディアリテラシー・メディア学習はその活動の場を失うかもし れない。
・教科「情報」は見直しの方向が打ち出され、コンピュータ活用の授業形態は各教科に導入される。コンピュータ は教育機器として教員が教育コンテンツを用いた効果的な授業が教員主導で展開されていく形式を取るだろ  う。
・楽観的には、残された教科「情報」(必修)が情報そのものに関する教育(「情報」の収集・判断・創造・発信などに関する教育)を行うだろう。しかしおそらくその教科を文部科学省は「メディアリテラシー」とは呼ばないだろう  し、有効に学校図書館がメディアセンターとして活用されるともかぎらない。

4 学習指導要領に求められるもの。
・メディアに関係する学校図書館教育・国語科教育・地歴公民科教育・外国語(とくに英語)科教育・芸術(とくに 美術)科教育・家庭科教育・情報科教育・道徳教育・特別活動など関連するセクションで「メディア」についての  各教科での分析と全体でのトータルな把握が必要である。そしてそれらの有機的な連関にもとづいて教育内容 を適切に振り分け・配置することが求められている。

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