2005年9月9日金曜日

メディアリテラシーの学校:夏季講習 8・27 報告

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8月27日(土) 川崎市麻生市民館で、かながわメディアリテラシー研究所第1回目のイベント「メディアリテラシーの学校:夏季講習」が開催されました。



◆1時間目 『報道番組のつくり方』 講師:小林和男氏
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「ニュース」と「番組」の作られ方の違いを具体的に映像で見ました。「ニュースを選ぶ基準は3つ。それは 1.ホットなニュース 2.関心を持てるニュース 3.欠かせないニュース である」 とのレクチャーに、「その基準が時代に合っていないのでは?」との質問がフロアより出され、デスクの権限と局による差別化の問題やメディアスクラムの問題についても話が及びました。
【参加者のアンケートより】
 ニュースの選択基準、映像のつなぎ方やBGMによって印象が大きく変わることなど、たいへん勉強になりました。/面白かった。/34Chでは早朝の報道番組を午前中に時間をずらして放送しているが、なぜか時間がずれるとおもしろい。/私はステージのプロデュースを学習していたもので、見せる順序やBGMについては既知のことも多かったのですが、ニュースを選別する過程でかなりのニュースが切り捨てられているのは驚きでした。/わかりやすかったです。音楽で全然印象がちがう…。私は2年前からドキュメンタリー製作の勉強をしていますが、すでにマニュアル的つくり方の概念にとらわれていることに、(ドラマ編カットを見て)気付きました。/ニュースとドキュメンタリー(ドラマ)の作り方の違いについて具体的に示していただき、理解が深まった。一方、劇場型報道というマス・メディアの課題を克服することがいかに難しいか実感した。/テレビ朝日の出前授業は知っていましたが、今回その教材の一部を見ることができ、勉強になった。ぜひ、授業にお招きしたい。/テレビ報道の教えつけられてるかんじ意味が、わかった気がします
◆2時間目 『市民メディアの可能性』 講師:下村健一氏
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1時間目の小林氏の講義を受けて、下村氏は市民メディアに何ができるかについての具体的な提言をしました。本来、マスメディアの中に「主流以外の視点で見る人」を業務命令で置くのが理想だと述べ、それが難しいとすれば、「市民メディア」がその部分を担うことが出来るだろうと語りました。大手メディアのアンチではなく、補うものとしての「市民メディア」の可能性の例として、橋爪明日香さんの作品「みんな空でつながっている」を見ました。鑑賞後、飛び入り参加してくれていた橋爪さんご本人への製作インタビューが行われ、ライブ感あふれる講義となりました。
【参加者のアンケートより】
 市民メディアの可能性を強く感じました。マスメディアのように多くの人が受信してくれるわけではないでしょうが、まず、発信体験を持つことが大切だと思いました。/とてもおもしろかった。/「市民メディア」って初耳でしたので、正直言ってはっきりと理解できなかったんですが、何となく感じることはできました。「知れた」ことに感謝します。/映像を見ていただいてありがとうございました。もっと対話を広げていきたいです。/橋爪さんの作品興味深かった。市民メディアの課題についても聞きたかった。/明日香さんの作品に圧倒されました。市民メディアの可能性が具体的でよくわかった。/とても面白かったです。特に今井君のドキュメンタリーは最高!
◆3時間目  討議:「学校でメディアリテラシーをどう教えるか」
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 英語、国語、社会、美術の教員、学校司書、学生、高校生、市民メディアの作り手の方々などさまざまな立場から参加がありました。「メディアリテラシー」を科目に位置づけている学校ってあるんでしょうか?と参加者に問うところから始まった3時間目。科目に位置づけている学校は出てこなくても、英語、国語、社会、地学、総合など、それぞれの教科の中ではいろいろと実践されていることはわかりました。既に実践をしている教員の立場から、学校でメディアリテラシー教育を行う際の障壁は、お金と時間という問題提起がなされ、そういう意味では、教科でやるよりも「放送部」など部活動でやるのが一番楽かもとの意見がありました。
 障壁ということでは、高校生に何かを「表現」したいと思わせること自体が難しいとの声も。学校司書からは「一人一人の表現を大事にする授業なら、どんな教科であっても図書館も使わざるを得ないはずだし、教科情報がパソコンのスキルの部分だけを担って終わりということにはならないはず。」との意見が出され、それに対して美術の教員が「表現の前にどう感じるかがあるはず。どう受け取るかということを大事にする」と発言しました。「表現」とは、「見方が変わること」であって、作るプロセスが大切だという意見に賛同者が多かったです。「メディアリテラシー」という言葉の定義に「能力」という言葉を超えて「営み」「活動」「経験」「術」という言葉が含まれていることに注目すれば、メディア表現がメディアリテラシー教育のキイになることは自明のことかもしれません。
 2時間目の最後に下村氏が3時間目への橋渡しになるように提言してくれたことが、学校をメディア表現の「発表の場」にし、プロがノウハウの提供をするということでした。こうした具体的な提言について掘り下げる時間が無くなったことが残念だったのですが、「学校」を大手メディアと市民メディアを循環する装置にすればいいんだというヒントを得られたことは大きかったです。
 最後に下村氏が「ダンボール手作り多角的視点認識装置?」を示して、「メディアリテラシー教育にお金なんかいらないよ!出来ないという暇があったら出来ることをやろうよ!」と力強く述べ、そこでタイムアウトとなりました。
【参加者のアンケートより】
 下村先生、小林先生の最後1分のお話もたいへん参考になりました。まず実践することが大切だと感じました。/
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/メディアリテラシーというのは、テレビやマスコミに関することだとずっと考えていました。でも表現全般、そしてその根元にある表現の欲求に通じる考え方だということを知ることができ、とても参考になりました。/後発隊の私を自覚するに至ったような
何を今さらのような、この不明さがメディアリテラシーなのか??/面白かったです
無限の可能性が「学校」というワクにはまるとつまらなく感じるのはなぜなんだろう。
と ちらりと思ってしまいました/とても楽しい時間でした。メディアリテラシーを広めるには何ができるのか考えます
                  
(文責 松田ユリ子)

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