ひとは様々な情報の中を生きている。その情報を的確に整理、理解するための知識、技能、すなわち「リテラシー」は生徒に体得させるのが教育現場で働くわれわれの使命のひとつである。
かつて「リテラシー」といえば、活字文化における「読解力」を意味していた。知識注入型の教授法が有効に機能していた。しかし、現代ではメディアの巨大化、多様化によって、学校は読み書きを教えるだけではすまされなくなってきた。
だから、コンピュータの情報処理を学べばいい、視聴覚機材を有効に使えばいいのだ、ということではなく、それぞれのメディアがどのような情報装置なのか、メディアを通じて受容される情報がどのようなもの(どう編集されたもの)なのか、といったメディアの意味論的考察なしには「リテラシー」を教えることは覚束ない。
例えば、かつての学問的「教養」や「文芸」の有用性が脅かされつつある事態にわれわれはどう対処するべきなのか。メディアの輻輳(メディアミックス)によってより見えにくくなっているテクスト-コンテクストを読み解くコードをどのように生徒に提示していくべきなのか。
こうしたメディア分析的な視点が教育現場でも明確に意識されていないかぎり、主体的、批判的な判断力をもつ社会人の育成は困難であるとわれわれは現状を捉えている。この現状認識をほぼ共有する有志によって、教育現場で働くわれわれ自身のメディア理解、メディアリテラシー理解を深めること、メディアリテラシー教育の方法論を教育実践の事例を通して探っていくことが本研究所の設立趣意である。
とかく発想が硬直しがちなわれわれに自由で斬新なアドヴァイスをしていただける有志の参加も歓迎である。そして、活発な議論を多くのみなさんと共有できればと思っている。
設立趣意書を読みました。いいですね。
返信削除私はいまのところ、教育としてのメディアリテラシーを①メディアテキストの分析と②メディア内容の意味の把握(了解)に限定して生徒に教えるため、来年のテキストを作りたいと考えています。
設立趣旨,読ませていただき,その趣旨に賛同する者です。
返信削除参加に関する決まり事(匿名/非匿名,研究会への登録,書き込みの資格等)はあるのでしょうか?
よろしければお教え願えると幸いです。
教育の場でメディアリテラシーをどのように展開するか。実践的なものでなければならないだろう。生徒が即使えるような…。しばらくは試行錯誤が続くかもしれないけれど、ともかく何かをやってゆきたいと思っています。
返信削除前のコメントはjimitsuでした。
返信削除「参加に関する決まり事」ですが、研究所が発足したばかりなので、これから決めることになるでしょう。とりあえず、ここに書き込んでいただけるのはありがたいことだと思っています。
設立趣旨の補足(蛇足?)
返信削除設立メンバーの6人はたまたま教育現場で働くものであるが、今後はしなやかに活動を展開してみたいものです。とりあえず、2005~6年度やれるだけのことをやってみましょうや。設立趣旨について何か指摘があったら是非してください。少し時間をおいてから読んでみると、気負い気味の文章にも思えます。とにかく、現場感覚/ライブ感覚がやはりわれわれの真骨頂なんで、ちまちました日常に活かせるなにかをやっていきたいな、、、(やっていきたいのです、やっていきませんか、、、いまだにブログの語尾に戸惑うわたしです。)
標語を1つ思いつきました。
Think Logically, Act Locally. いまいち?