最初に好きな写真をそれぞれ選んで、それに新明解他好みの辞書の言葉をマッチングさせるワークショップを行った。
この時点で、参加者の形態は以下の3様に分かれた。
1.事前に自分で写真と辞書の言葉を準備して来て、自分版をプレ
ゼンするばかりになっている人
2.事前に自分で写真を準備して来て、その場で新明解を紐解く人
3.まったく手ぶらで来て、参加者が持ち寄った写真から好みのもの
を選んで、その場で新明解を紐解く人
プレゼンテータの二人、宮さんと小野さんが「仕事中も、寝ているときも、木を切りながら、花の手入れをしながらいつも『自分版』のことを考えていた。」「新明解を、あ行からすべて読み始めようとした。」「図書館で言葉を捜してはっと気付くと何時間も経っていた。」などと語るのを聴いて、これは、こだわり始めたら時間がいくらあっても足りないぞということで、一旦30分で時間を切って、その時点で出来上がった作品をみんなで鑑賞しようということになった。
各自30分間の集中ぶりは凄かった。
さて、出来上がった作品を言葉からすべて辞書的に配列する。
そして、あ行から順番に、写真と言葉と辞書からくまなく書き写された説明を並べて見せながら、淡々と文字を読み上げる、という方法で鑑賞会が執り行われた。
なるほど!と思うのも、?なものも、どっひゃーなものも、いろいろ。
なるほど!なものも、?なものも、どっひゃーなものも、人によって違う。
面白い。
遅れて来た参加者も居るので、次に、一つの写真を選んでそれぞれが言葉をマッチングさせるワークショップを行った。なるべく難しい写真にしよう!ということになった。
選ばれたのは水族館の水槽を浮遊する鸚鵡貝のカラー写真。
全員うんうん唸りながら、「難しいよ~」と悪態をつきながら取り組む。
辛いワークショップは実に楽しい。
その結果出てきた辞書的なる言葉の数々は、一つとして重なることなく、何とはなしに、その言葉を選ぶ人の世の中を見る視角みたいなものがあぶり出されている感じがしたのだった。
今回、予期せぬスペシャルな参加者があった。ブログを見て「うめ版」を編集した当の編集者、三省堂の石戸谷直紀さんが参加して下さったのだ。勢い、議論は本家「うめ版」をめぐりながらのものとなった。
「うめ版」を作る時に、なぜその言葉を選んだのかについて一言書きたくなる場合があった。「うめ版」では解説は無いんですね。
I:解説の有無については企画の早い段階で無しということが決まりました。コラボレーションもののあり方として、例えば、できあがった作品や製作過程についての対談を入れるというような手法があるけれど、今回はそれもしませんでした。これはこの企画全体を貫くコンセプト「潔く作る」ということとも大いに関係があります。
つまり、あまり手を加えないということで、写真もノートリミングなんですが、これは梅さんのたっての希望でした。今回の梅さんの写真は横版が多いんですよ。しかも梅さんの希望の判型はたて。そうするとすごい余白が出来ちゃう。ぼくとしては、その分写真が小さくなるからもったいないと考えてしまう。そこにせめぎあいがありましたね。せめぎあいの結果、とてもシンプルなレイアウトになりましたが、ここにも梅さんとデザイナーの潔さが出ていると思います。
N:辞書の解説は全部載せているわけじゃないでしょ?ずいぶん長いのもあるし説明の1番と2番では写真とのマッチングがずれる場合があるし。
I:全部載せてます。これもノートリミングです。文字量の制限上の省略はありますが、恣意的なカットや強調はなしです。
「ウケをねらわない」
N:やらせじゃないのか!と思うほどぴったりのマッチングがあって。
I:そう、よく言われます。でも、そうじゃない。小野さんが言っていたように、自分も「うめ版」を作っているときは、夜中に布団の中でものすごくいい言葉を思いついてがばっと起き上がるなんてことがしょっちゅうでした。で、これは絶対に面白いと梅さんに見せるでしょ?そうするとぜんぜん乗って来なかったりする。そして言われたことは「笑いをとろうとすると面白くなくなります」でした。自分と同年輩の編集者には確かに大うけだったりするんだけど、それがみんなにウケるとは限らない。それが作品の幅をせばめてしまうことにもなりかねません。そういう、ものづくりの根本的なことが梅さんはすごくわかっている。それから、結果的には、言葉ありきで撮りおろすということもしなくって、写真は梅さんの7000点の手持ちの作品の中から選ぶことになりました。
「コラボレーション」
N:今日のワークショップでも感じたけど、写真と言葉のマッチングの屈折の仕方が面白い。プリズム感とでもいうか。
I:「うめ版」では、言葉と写真を合わせる作業は凄い戦いでした。たぶんみなさんもお気付きのように、屈折感がバラバラになっちゃってます。編集者としてのぼくには、綺麗なもの、分かりやすいものを作りたいという傾向がでます。テーマを1本通したり、ジャンルごとに分類してみたり。だけど、今回のコラボレーションを進めていく間に強く思ったのは、写真が言葉を説明する絵にならないように、言葉が写真のキャプションにおさまってしまわないようにしなくてはならないということでした。押し付けではなくて、この本を見た人ごとに浮き上がってくるものが違ってくるようなものにしたいなと。写真と言葉との距離感、屈折感みたいなものから立ち上がってくるものが大事というか。
S:文字が一方にあって、写真がもう一方にあって、それらからちょっと離れた高みにある「なにものか」を醸し出すってことでしょ?
「メディア・リテラシー」
T:私は「新明解国語辞典」が好きで好きでたまらなくって、今回のワークショップを楽しみにして参加したんです。でも、「ごろはち茶碗」っていうのをどうしても作りたくって写真をやらせで撮ろうとがんばったけどどうしても撮れなかった。言葉に写真を「当てはめる」のは本当に難しい。
M:今回、「写真の力が好きな私」と「文字の力が好きな私」に図らずも気付かされたような気がする。Tさんは「文字の力派」だね。
O:「うめ版」を見るとどうしても写真のパワーが80%という感じがした。今回のワークショップでは、ちょうどよい加減というか、写真と言葉のパワー的には偏ってなくて、そういうところが面白かった。
M:写真と言葉のコラボレーションという意味で、前もって自分で写真を選ぶところからやる方法より、その場でそこにある写真を選んで言葉をマッチさせる方法の方がよりスリリングだと思った。自分で写真を選ぶ時に、どうしても言葉ありきの部分が出てしまいそうで。今日は特に、一枚の写真にあれだけの異なった言葉が当てられるというのを目の当たりにするというのがメディア・リテラシー的で面白かったと思う。
S:国語とメディア・リテラシーを結ぶキイ概念は「言語化能力」だと言っている人がいる。今日のワークショップのような手法で、まさにそういう授業が出来そうだ。
I:是非取材させて下さい。
かつて、Kjと私は「総合的な学習のガイドブック」を作るに当たって、あまり綺麗に編集されたガイドブックは実は使えないよねと、「ゴツゴツした手触りの」ガイドブックを作ろうと奮闘したことがある。だが結果としてそれは、無残にも綺麗なものに収まってしまったのだった。「ゴツゴツした手触りの」編集は、意図すればするほど難しい!しかし、当初の編集者の意図とは裏腹に「ゴツゴツした手触りの」作品として「うめ版」は出来上がった。それが出版されて、かつ売れている!そんな話を聞けたことが、今回のワークショップのありがたいおまけだ。
文責 松田ユリ子