6月の例会がこの春晴れて完成したDVD教材を視聴するものであったので、楽しみにしていた。毎日映画社が制作したものであるが、本研究会の中山さんが企画原案からロケ地の決定・役者の依頼までこなしていて、彼はプロデューサーでもあったのかとさすがに驚いた。
内容は面白かった。40分ほどのDVDは3つに分かれていた。その第1段階は、ウサギとカメのものがたりを紹介して、そこからウサギとカメそれぞれの性格をワークシートを使って生徒に割り出させせる。(ウサギがあほだったり、そうでなかったりと各自各様の印象を受け手が持っていることの気づき)、そしてさらにこの物語のストーリーのどこに着眼したかを絵コンテから選ばせ、その選んだ理由を互いに語らせたりする。(物語りのプロットが受け手によって微妙に違っていることの気づき)そうしたことを気づかせる第一段階がまず面白かった。(つまり人の個性は表現の時だけでなく、対象を受容する際にも発揮されるということ)(感受性が個性的で思い思いであるということがノーマルだということ)
第二段階は、ウサギとカメの話に基づいた現代のショートドラマだ。ウサギをカメのストーリーを無意識に引きずっているので、このショートストーリーを先入観として持って見ている受け手の高校生が映し出され、このドラマを見た後で、ドラマの感想について討議する。ここがこのDVDの狙いである「映像の読み解き」の山場である。(複雑なワークシートはないが、それでいいと思った)
ウサギ的なデジタル派とカメ的なアナログ派の登場人物の対比的描写、その間の場面転換の池の鯉が泳ぐ映像をいかに解釈するか?というとところあたりに話を持っていく。なにやら小説を扱った国語の授業の映像読み解きヴァージョンの趣である。ここらあたりが、この教材が良くある紋切り型のビデオ教材にない独特の味を引き出しているところである。(しかしそのことが逆にこのビデオ教材を、インパクトの薄い教材にしてしまってもいる。)(そうは言ってもね、そもそもメディアリテラシーを教えるビデオ教材とは何か?を普通に考えてみればわかるだろう。この映像作品自体がメディアリテラシー的批判のサンプル対象となってしまうのであり、メディアリテラシーとはこういうものだ、と断定的に紋切り型に上から物申せば、メディアリテラシーという言葉は学べても、メディアリテラシーの営みそのものの大切さを私たちは教えることができないだろう。)(ここのところなのだ)(このディレンマがメディアリテラシーが教えることで得られる知識やスキルとは違うなにものかだというある種の教育的隙間なのだと思う)
さて第3段階が放送の倫理と個人の倫理、放送の公共性、そしてパブリックアクセスについての学びである。大学教授のインタビューで締めくくられるわけであるが、この箇所は生徒が見たらまず寝るだろうと予測のつく映像である。(権威者の力を使っているのか、実にテレビ的手法だ)
生徒が他人に公の場で(例えば授業で)映像作品を見せるとなると、プライベートで映像を楽しむのとは訳が違ってくる。その映像作品の作り方も当然初めから違ってこよう。(そもそも公の場で自分のメッセージを伝えようとする衝動、活動、営み、、それを育てるにはどうしたらいいのか?本当はそこが肝でしょ、って言いたい)それがあって初めて伝えるさいに、なにが公共では良くて何がいけないのか?それを生徒が主体的な活動の場で気づいていく学びがないといけないのになあ、と私は最後の最後で思うのであった。一体全体メディアリテラシーとはいったい誰のためのものなんだ?誰が身につけるべき素養としているのか?
メディアリテラシーを教えることをしようとするとそのほどに、どんどんと生徒の元来持っていたメディアリテラシーの力も素養もそぎ落としてしまうことのないようにしないといけないと思った。(だからあの結論があるんだかないんだかの第2段階のショートドラマが一番メディアリテラシーの本質について学べたようだと思った。)by nakazawa
撮影:小野悦子
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